平均寿命こそ年々延びてるようではありますが、それでも健康的に過ごせるのは大方70歳ぐらいまでです。
人生の折り返し地点を40歳と区切ると前半と後半に分けてイメージすることができます。
時間的には同じでも、若い頃の時間と年老いてからの時間では体感速度も価値も違います。
根も葉もない事実として、人生は前半戦が全てであると断言します。
人生は前半が全て!20代をどう生きるかで決まります
幼年期~親からの愛情
まずこの世に母親のお腹の中からひねり出された瞬間、99%の赤ちゃんが祝福されることでしょう。
最初は誰もがかよわくて無力な赤ん坊で、母親の腕の中でおぎゃーおぎゃーと周囲の目も気にせずに泣いたものです。
何年もかけて目一杯の愛情を受けて育ってゆくのです。
この時は親から愛されて当たり前と感じているし、それでいいのです。
幼児という存在そのものが大人たちを幸福にしているのですから。
とはいえ3歳くらいまでは自身の記憶がないため、親からの無条件の愛情を覚えていないものです。
ガラスの十代(思春期)
人生で最も体感速度の遅い期間が十代となります。
十代の一年一年はどれも貴重で、体も心も成長著しいです。
しかし成長とは苦悩でもあり、現役の思春期真っ只中の中高生は色々と人に言えない悩みを抱えているものです。
この時期に鬱屈として過ごすか、陽キャのリア充で過ごすかがキーポイントとなります。
十代の時期を「青春」と形容して懐古できるのは楽しく過ごせた者だけです。
この時期をいかに多くの友人達と刺激を受けながら活動的に過ごせるかが非常に重要です。
陰キャだとお先真っ暗です。
人生は20代をどう生きるかで決まる
ハッキリと断言致しますが、人生は20代をどう生きるかで決まります!
仕事も恋愛も20代が全てです!
20代の時期に出会った人や物、やった事が先の人生に大きく影響するのです。
人間の本質は三つ子の魂と言うけれど、遅くとも20代で完成されます。
20代の時のキャラクターを基本フォーマットしながら生きることになるからです。
一説には27歳の時にしていた仕事が生涯の仕事となる確率が高いとどこかで聞いたことがあります。
なので20代の一年一年も真剣に生きなきゃいけません。
だって30歳以降の人生なんて蛇足のオマケなのですから。
30代の結婚家庭構築が分かれ目
現代の都心部だと30代での初婚が主流となって久しいですが、昔と比べて離婚も珍しくなくなって、失敗に気付いたら離婚すればいいという考えを念頭に置くのも間違いではないのだけど、でもできることなら失敗のない結婚をしたいものです。
ですが哲学者に言わせれば全ての結婚はハズレくじであり、してもしなくても後悔するものだと言われてます。
とはいえ全体のうちの10%くらいの割合で仲の良い夫婦も稀に見受けられるので、自身が10%に入れることを願うのみでしょう。
子供はガチャなので障害児が産まれたら人生詰みます。
優秀な子は優秀な親の元に産まれるのがデフォなので、とんびが鷹を産む事はありません。
所詮カエルの子は蛙なので、子供にはいっさい期待しないことです。
それでもまだまだ30代は希望が持てるし、総じて上向きなビジョンが描けるものです。
前半でどれだけ貯金(金銭的にも精神的にも)できるかがキーとなります。
人生の後半(40歳以降)は悲しみと苦痛の連続です
消耗で限界を知る夢破れし40代
厄年もあることから、40代でいっきに色々と傾いていく傾向にあります。
40歳を境に人生は右肩下がりであるという事実を受け入れざるを得ません。
肉体的にも急激に衰えていき、もう若くないことを常時痛感します。
将来的な目標も達成できるかできないかの目安が見えてくるもので、十代の頃は誰でもなんにでもなれる気がしたのに、40代になるともう何者にもなれないことに気付かされるのです。
夢を見つけろと言われてきたのが、いつのまにか夢を見るなと言われる年代に突入するのです。
40過ぎてから始められる事なんて限られているというか、無いに等しいのです。
もちろんセカンドキャリアでもう一旗あげるんだという気概もあるに越したことはないのですが、現実に打ちのめされる覚悟も同時に持つ必要があるでしょう。
既婚者は子供の教育費やらでどんなに働いても自分のために使う事が許されない境遇であったりします。
後半になると親の介護問題なども頭の片隅に入れておかなければならなくなります。
一気に人生がつまらなくなってきていることを実感する余裕すらない時期です。
親の死と金銭勘定で疲労困憊の50代
実家ニートだと8050問題などと言われてますが、つまりアラフィフで親の死と向き合う現実が迫ってきます。
一方子供が成人して巣立つ頃に熟年離婚も起こりえるわけで、暗いイベントがひっきりなしに舞い込んできます。
お金の悩みも尽きず、健康面でも不安が押し寄せてきます。
もう心がときめくような事はゼロです。
自然と口角も下がるというものです。
体力気力も衰えて病に苦しむ60代
すっかり初老となって病院通いが日課となります。
子供に頼りたい気持ちがあっても傷つくことを恐れて我慢します。
仕事の修め方を考えるようになりますが、まだまだ現役にしがみつこうとします。
鏡を見ると絶望するので見ないようになります。
保険のCMが気になります。
今のうちにやりたいことをやっておこうと考えるものの、すでに体力気力が落ちていて行動できなくなっています。
孫の顔も見たいけど、その時おじいちゃん(おばあちゃん)確定です。
死刑宣告の日に怯える70代
いよいよ70を過ぎるといつガンがみつかっても不思議じゃありません。
いつ死んでもおかしくないはずなのに、まだまだ「死」はどこか遠くて意識するのが怖すぎて現実逃避してしまいがちです。
人生100年時代だとか言ってまだまだ余裕だと言い聞かせます。
しかし健康寿命は70代前半であるので、あとはこの先闘病地獄があるのみです。
闘病に耐えられず、コスパも考えて自殺する老人も意外といるものです。
ですがいくつになっても生き延びたいと思うのもまた人情です。
自分がなくなってしまう日を想像して震えて眠れない日々が続くのです。
最後は楽になるという表現も的を射ているのかもしれませんね。
人生は楽しいことより辛いことの方が多い
人の一生の成分は悲しみと苦痛でできています
けれど長生きは三文の徳