いじめられたら

生きてれば良いことあるって本当か?でもマシにはなるかもよ?

落ち込んで死んでしまいたいと嘆く者に対し、精一杯かけてあげられる励ましというか振り絞って出す慰めが「生きてればいいことあるよ」というものですが、果たしてそれは本当なのでしょうか。

無責任な言葉ともとれますが、それ以外にかける言葉も見当たらないし、300日も生活を繰り返していたら一日くらいはいい日もあるだろうから、おそらく本当なのでしょう。

生きてればいいことあるって本当?

私がAMラジオのDJだったならば、「あるわけねーだろ、バカ!」と偽悪者気取りで突っぱねてみたいところですが、近しい人物にこんな事を言われたらついつい柄にもなくポジティブな言葉を探して自分にも言い聞かせるようにして延命する理由を説くでしょう。

そりゃ五感が機能している限り生きていれば笑える瞬間や気持ちいい瞬間や美味しい瞬間があるわけで、それらを「いいこと」のカテゴリー内にストックできるなら、間違いなく生きてればいいことは複数回何度も訪れると言い切れます。

しかしそれ以上に嫌なこと、不快なこと、つらいこと、苦しいことが毎日覆いかぶさるのなら、前述の「いいこと」など蚊ほどの効力もなく吹き飛んでしまうわけで、快不快の指数値が1:9であるならば、死んだ方がマシという結論になるのも納得してしまうのです。

でも引き籠って寝たきりになってやり過ごせば、嫌なことを排除して何もない退屈だけの「無」の暮らしを形成することは可能です。いいこともないけれど。

でもそれだったら維持費と酸素の無駄だから、やっぱり死んだ方がいいとなってしまいかねません。

困りましたね。

もうダメだと思う鬱病者の心理状態

結局壁にぶつかって衝撃でよろめいて頭がくらくらした状態であるからして正常な判断なんかできないのですよ。

だからとりあえず問題は先送りして、回復するまで何十時間と睡眠を貪って、脳がクリアになる時を待ちましょうというのが、理路整然とした正解であると私は思うのですが、目の前の鬱病を患ってしまった人間にはそれを聞き入れる余裕はないでしょうから説得成功には至りません。

鬱の思考回路は総じて生き急ぐスタンスが根底にあるような気がします。

人生なんて長いのだから1年くらいボーっと過ごしたって取り返せるし、取り返そうとしなくてもただ怠惰に生活してたっていいわけなのに、どうも本人の生真面目さがそれを許さないらしく、世間の厳しさに打ちのめされながらもホントは誰よりも自分が一番自分に厳しくて、弱い自分に失望して侍よろしく自決せねばと、自分で自分の進退を勝手に迫ってるみたいなんです。

可愛くも滑稽なので抱き締めてあげるのがよいでしょう。

生きててもいい事はないけど生きやすくはなるよ!

基本的に人生ってつらいことの方が多い気がするのです。

週休二日で五日働いてるのであれば単純に3:7の割合の苦楽だと考えると、まぁギリギリ許容範囲だけれど、そこに病気とか不慮の事故が加わると一気にハードモードに突入するので乗り越える気力を備えるのも大変というものです。

でも大事な人がいると死ねなくなるので人はついつい良くも悪くも生かされがちです。

生きるのが地獄であれば死んだ方がマシなのは明白なんだけど、それでも最悪死んで逃げれると思えば、悪あがきの抵抗もできるというものです。

そして年を重ねていくうちに欲望も薄れていき、気候の良い日に散歩をするだけで空気がおいしいな‥幸せだなと思えるようにもなるのです。

そうなったらこっちのもので、分相応の物で満足できるとなれば、幸福の基準ラインがいっきに下がるので、お金がなくても幸せを感じられる能力を得られるだけで、随分と生きることがたやすく感じられるというものなのです。

大人は自由で会社は学校の10倍楽よくツライと愚痴をこぼす子供に対して軽薄な大人が「大人になったらもっと大変だぞ!子供時代がいかに恵まれていたかわかるようになるぞ」とか知...
まとめ

希望はなくとも絶望することもない!

鬱状態であればとにかく休んで回復を待て!

いつかは死ぬんだし急がずゆっくり気楽に生きよう!