とかくこの世はポジティブ推奨でして、将来に夢や希望を抱いてる若者に対して大人は優しい眼差しで「そうかそうか、頑張れよ」と好感を持ちますが、逆に「将来に夢も希望も、生きる意味もない‥」などと暗い顔して俯く世捨て人に対しては、ゴミでも見るような視線を落としながら「自分に出来ることを探して‥頑張れ」などと適当な事を言って吐き捨てるようにため息をつきます。
夢も希望もないなどと嘆くような輩のネガティブシンキングは伝染しかねないので、本能的に「近づくな!」と思うものなのかもしれません。
だから思っても容易に口に出して吐き出せないものなのです、そういったマイナスワードは。
吐き出せないからいつまでも胸の中で疼くことになります。
では、どうしたらいいのでしょう。
夢も希望もなくても呼吸して食べて眠ればいい
夢や希望がなくちゃ生きていてはいけないかのような強迫観念に駆られがちですが、そんなことはないのです。
夢も希望もなくたって人はただ生きていたっていいのです。
むしろその方が自然ですし、人間以外のほとんどの動物は今日食べる餌の事しか考えていません。
夢とか希望とか持ったって腹は膨れないどころか気持ちまで飢えるばかりです。
美味しいご飯を食べて、気持ちよくふかふかの布団で眠れればそれでいいじゃないか。
元来幸せってそうゆうことを言うんじゃないの?
夢や希望がなくても人生を楽しく生きることは可能
夢や希望を持つと現在そこに辿り着けていない自分の暮らしに不満を覚えます。
むしろ夢や希望がない方がその場その場の娯楽を無心に楽しむことが出来るのです。
つまり夢とか希望とかない方が軽やかにケセラセラに生きれるというわけです。
夢や希望がない人は「足るを知る」成熟した人間とも言えるのです。
人生がつまらないという真実に気付くという能力
夢や希望がないと人生に張り合いがなく、生きていてもつまらないと嘆きがちです。
ですが夢や希望も叶わない確率の方が高いですし、それに破れて絶望して傷つくよりも、最初から何にも期待せずに身の程をわきまえて生きた方が賢くもあります。
人生がつまらないのは当然であり真実なのです。
マヤカシの幸福に騙されて生きるよりも、残酷な真実と向き合いながら生活を営む方が立派です。
絶望は哲学のはじまり
この世に期待することをやめ、諦めた時から自身の中から哲学が生まれます。
夢や希望を捨て、人生に絶望することで哲学が始まるのです。
哲学(思考)を持つと、あらゆる事柄の裏側に気付け、冷静な判断力が養われます。
夢や希望を抱えた青臭いガキよりも、上手に生きる知恵が身に付くのです。
それは着実にあなたの見識と人生観を修正し、先々の失敗を防ぐのに役立ちます。
それがあなたの生きる意味
夢も希望もないのに生きていても意味はあるのか。
あります。
意味のなさそうな毎日に名前を付けてやることこそがあなたの使命だからです。
浮かばなければ考えましょう、何日でも何年でも時間をかけて。
退屈な毎日でも過酷な地獄と比べれば幸せというものです。
なにもないということは、どんなふうにでも変えられるという事です。
あなたの人生はまだまだこれからです。
例えあなたがもう還暦を過ぎていたとしても、まだこれからなのです。
だって生きる意味をみつけていないということは、思春期の少年少女時代から変わっていない(成長していない)という事なのだから。
まだまだ修行が足りないのです。
夢や希望は持たなくても良い
絶望という名の真実で目を醒ませ
生きる意味を探すくらいのアンテナは張れ