最近になってメンタルの気質としての「HSP」が広く認知されるまでになってきたが、その延長線上で調べていくうちに、どうも私は「回避性パーソナリティ障害」の症例に該当するのではないかということに気が付いた。
回避性パーソナリティ障害ってなに?
自分は社会的に不適格で魅力に欠けていると考え、笑われること、恥をかくこと、排除されること、嫌われることを極端に怖がり、そのために、社会的な交流を避けようとする傾向をもつ。自分は孤独者であるとし、社会から取り残されている感覚を訴えるのが典型である。
引用元:wikipedia
これ、そのものズバリなんですよ。
あぁ、なんと的確に赤裸々に表現してくれちゃってるな、と。
アメリカの精神医学会で定義された診断基準を基にひとつひとつ照合していこう。
批判や拒絶に対する恐れにより、社会活動を避ける
まず否定されたくないですよね。
社会にはいろんな人がいるので自分もほとんどの他者を否定するのだから、同時に他者から否定されるのもまた当然だということは理解しています。
だから摩耗しないために関わらないという選択をするんですね。
極端なんですよ。
批判はいいんですよ、議論して解り合えれば有意義ですし。
でも拒絶は嫌なんですよ。
問答無用で拒否反応を示されると、それを敏感に察してしまい、必要以上に傷ついて殺意すら沸きます。
そうなってしまうといいことがないので、そうならない為に自衛としてカラに閉じこもるわけです。
だから必然的に社会生活が送れないというわけです。
好かれているという確信がないと親しい人間関係が作れない
浅い交流関係を広く持つことができないですね。
自分をよく知ってくれたうえで、絶対的に味方であるという確信がないと関係を育めないですね。
つまり来るものは拒まないんですよ。
でもしっかりとした熱量で敬意と愛情がそこになければ、信用に足らないわけです。
いったい何様なんでしょうね。
結局王様でありたいんですね。
仲間内の一人というポジションでいるくらいなら孤立を選ぶのです。
批判などに過敏であること
常に正しくありたいと思っているので、自分の思考と主張に間違っていないという自負があり、批判されようものなら論破して返り討ちにしてやる心構えも所有しているのですが、本来好戦的な性格ではない為、できれば争いは回避したいと思っています。
批判されてもスルーするのが大人の対応なんだと言い訳して逃げたりします。
でも自分を批判した人間=敵と見なし、いつまでも就寝前とかに思い出して呪ったり、ずっと恨み続けてしまう性質があるので疲れてしまいます。
新しい対人関係では控えめである
よく知らない人の前では自分をさらけ出せない人の方が多数派かと思います。
私はこの点逆でして、初対面の人だと物怖じしないので唯一該当しない項目です。
だから路上ナンパも平気でできますし、面接とかもいっさい緊張しません。
普通の人が緊張する場面ではまったく緊張しないんですね。
逆にみんながリラックスしてるような状況に一番緊張してたりします。
休憩所とかオリエンタルパークとか休み時間とか緊張しますねぇ。
顔見知り程度の間柄であると、途端に自分を隠そうとします。
基本的には控えめな人間でありたいとは思ってますので。
自分が劣っていると感じている
劣等感の塊ですね。
自意識過剰なんですかね。
自分が思うイケてる自分に追い付いてないというか、社会的評価がまったくついてこない現実にすこぶる落ち込むんですね。
明らかに敵わないイケメンを見ると逃げ出したくなりますね。
惨めな自分を冷静に受け止めると死にたくなるので、他者と比較しなくてすむように孤立へと向かうのでしょう。
新しいことに取り掛かりにくい
これは加齢とともに誰でも難しくなっていくものですが、若い時分っであっても自分はこうゆう人間だからという決めつけがあって、向いてないことやできそうもないことは最初から手を付けないというきらいはありました。
なんでもすぐに諦める傾向にあり、口癖は「あきらメロン」です。
報われない努力は気力と体力と時間の無駄なので、最初から着手したくないのです。
革命とか改革とか好きじゃないです、保守的なので。
エネルギーを必要とする行動力ってものが一番ハードル高いですよね。
回避性パーソナリティ障害だからしょうがない
正式な病名がつくと安心するんですよね。
自分は回避性パーソナリティ障害という病気特性を持っているのだから逃げてもしょうがない、と。
自分の消極的な姿勢を正当化できるわけです。
積極的にコミュニケーションをはかる努力を怠るな!と言われても、回避性パーソナリティ障害なのだから勘弁してよ、と回避できます。
もっと自信を持って新しい環境に飛び込めよ!と言われても、回避性パーソナリティ障害者に対して無理言うなよ、と反論できます。
あらゆる面倒ごとを回避してゆく属性であるからして、そうゆう性質の生き物もいるよね、と許容してほしいだけです。
回避性パーソナリティ障害として生きる道
これはね、治そうとして治るものでもないと思います。
持って生まれた性質、もしくはこれまでに培われ形成されたアイデンティティなのだから、無理に自分自身まで否定せずに、このキャラを抱えて生きていくのが自然です。
とてもしんどいですけど。
救われる方法としては、やはり他者から認められ共感または受容されることなんですね。
回避性パーソナリティの特性として、拒絶を恐れる代わりに受け入れられる事は人一倍望んでいるので、個人の活動で外に向けて発信していくことが自分を救う手段に成り得ると思うのです。
なので無理に組織の中で働こうとせずに、スタンドプレイでも良しとされる仕事を選んで生きてゆければ、これ以上苦しまないで生きていくことは充分可能であるのです。
もしも自分が回避性パーソナリティ障害かもしれないと思ったら、自分自身だけは己を肯定して、社会と距離をとる生き方を否定しないことです。
ソーシャルディスタンス=社会的距離
密を避けるのがコロナ時代の正解なのだから、ついに時代が我々に追い付いてきたと言えるのです!やったね☆