昨年亡くなられた俳優の三浦春馬氏(享年30)は、彼の小学生時代の担任が言った「親より先に死ぬのは親不幸」という言葉を強く受け止め、何があっても絶対に自分から命を投げ出すことはしないと誓ったことをファースト写真集に書いてあるそうだ。
奇しくも彼の死の半年後に、後を追うようにして彼の実父も逝去した。
こんなに悲しい結末はないというものです。
生命について、自死について、しっかりとブレない哲学を我々は改めて持つべきなのです。
何歳になっても子供は親より先に死んではいけない
まずやはりなんといっても自殺はダメです。
特に子供と若者は。
逆に言えば60歳以上で身寄りもなくて闘病に苦しんでるようならば、OKです。
子供と若者が何故自殺してはいけないのかというと、親が存命である率が高いからです。
じゃあ親無し子の若者ならいいのかと言われれば、恋人や大事な人がいなくて天涯孤独であるならばその判断は自由と言えます。
ですが親が存命である場合は子供は何歳であっても勝手に死ぬ権限はないのです。
何故なら子供に勝手に死なれたら大抵の親は嘆き悲しみ悔しみ苦しむからです。
でもそんなふうにして嫌いな憎い親に復讐するつもりで死ぬというのなら逆にアリなのかもしれませんが、復讐したいような親であれば子供が死んでもさして動揺しない可能性も高いので、自死が復讐として妥当とは思えないのでやはり別の方法を模索するべきでしょう。
親より先に死ぬということ
病気を患ってしまったり事故に遭ってしまったりして、子が不本意な形で親より先に亡くなってしまうというパターンも当然ありますが、その場合であっても気の毒な彼等をあえて親不孝者であると断罪いたします。
どのような理由であれ、子が親より先に亡くなるというのは親不孝だからです。
自殺はもってのほかですが、病気や事故にも注意して生きなくてはならないのです。
先天的な病だったり自分に1ミリも非のない事故であったとしても、です。
親が死ぬより先に子が死んではいけないのです。
両親が他界していても子供が居たら自殺はダメ
次に自分が中高年ですでに両親が逝去していたとしても、家族を持って子供がいるのなら、当然勝手に自殺する権利はありません。
借金苦だろうと、破産して暗い将来が確実だろうと、心中なんてモッテノホカです。
自分が障害者になろうが、子供が障害者であろうが、そんなことは理由にもなりません。
いっさい認めません。
そんなことは自ら死を選ぶに値する理由としてはショボすぎて却下なのです。
子供が居て自殺する親なんて珍しいですが、子供が成人していたとしてもダメです。
ただ、病気や事故であれば、子供と違い親は子不孝には該当しないので許されます。(そんな言葉ないし)
高齢親が病死するのは自然の摂理と受け入れよう
仏教には「順縁」という言葉があり、老いたものから順番に死んでいくことは自然なことなので、嘆き悲しむ必要すらないという教えがあります。
老いた両親が死んでしまうと、平均寿命を越えていたとしても悲しいものです。
ですが順番なので、むしろこれは喜ばしく幸せな序列の定めとして受け入れるべきことなのです。
親の死は自分もいつかこのようにしてこの世を去る時が来るのかという現実を目の当たりにするかのようで、そういった意味も含めて辛く苦しくなるものですが、年を重ねて充分に生きた結果、天に召されたのならば、それはようやくこの世での罪の清算が終了したことでもあるのだから、「おめでとう」と言って送り出してあげても間違いじゃないのです。
若者が先に死ぬことなく、老いた者から順当に死んでいく。
これこそが自然の摂理であり、世の定めなのです。
親も子もいない独身だけに自死の自由がある?
少子高齢化の進む現代において、この先こういった人も確実に増えていくであろうことが予想されますが、まだまだ相当マイノリティな部類にあたるかと思います。
おそらくこれに該当する人のイメージとしては、50~60代以上の生涯未婚者ということになるのかと思いますが、そのような人の場合のみ、自死を選択する自由な権利があるのかなと思います。
もちろんそのような人であっても大事なパートナーや友人がいるでしょうから、基本的にはどんなに悩んでいたとしても自殺を選ぶことは大間違いであるのですが、それでもパートナーや友人でも救えない苦悩であれば、他人であるパートナーや友人のためにどんなに苦しくても生きなきゃダメだ!ということにはならないかと。
つまり人生の折り返し地点を過ぎていて、血の繋がりのある肉親がこの世に一人もいない状態である場合のみ、自分勝手にこの世から去る権限があると言えます。
逆に言えばその条件に該当しない大半の方々にはその権限はいっさいないということでもあるのです。
子が親より先に死んではダメ
家族を持ち親となったら死に物狂いで生きよ
高齢者が死ぬことを悲しむことなかれ