何百億という資産を十年弱で溶かしてしまって、黒い輩にしゃぶりつくされて詐欺師に仕立て上げられて、手下だったはずのM会長に恩を売られて飼い慣らされて、文春不倫ネタから逃がれるように雲隠れして、あっさりと消え入るように引退してしまった天才音楽家の小室哲哉氏が私は好きだ。
小室哲哉 80年代の功績
TM NETWORK
84年にepic sonyからアルバム「RAINBOW RAINBOW」、シングル「金曜日のライオン」の同発でデビュー。
GET WILD
87年にアニメ「CITY HUNTER」のEDテーマに起用された「Get Wild」でブレイク。
言わずと知れたTMの代表曲であり、後に様々なアレンジで発表され、気付けばこの一曲でアルバムを作れる程の数の「Get Wild」が出来上がり、オリジナルの発売から30年経った2017年に本当に一枚のアルバムCDとして「GET WILD SONG MAFIA」がリリースされた。
小室に引導を渡したとされる宇多田ヒカルが子供の頃に最も好きだった邦楽曲は「Get Wild」だと発言している。
この曲のヒットを皮切りに音楽番組にもわりと積極的に出演して知名度を上げていく。
SEVEN DAYS WAR
「GET WILD」のヒットから僅か一年後、角川映画「ぼくらの七日間戦争」の音楽を担当することとなった小室が映画のタイトルに合わせてビッグタイアップの後押しを受けて放った計算高くも完璧な一曲。TM NETWORKを一気にメジャーなユニットに押し上げる。
この曲がすごいのはあからさまなタイアップ曲でありながら、ファンからは普通にTMの大事な一曲としての色合いが濃く、世間的にも映画よりも楽曲単体の方が認知されている点である。
名盤「CAROL」の先行シングルというイメージの方がもはや強い。
STILL LOVE HER
近年のTM楽曲ファン投票で1位を獲得した愛され曲。
元々はアルバム「CAROL」のシメの曲であり、アニメ「CITY HUNTER2」のED曲に採用され、リカットシングル「JUST ONE VICTORY」のカップリングとしての位置付けであるが、木根と小室の共作楽曲にハズレ無しと言われるだけあり、TMっぽくないフォーキーなミディアムナンバーでありながら人気が高く、TMファン以外にも高評価の楽曲で、この曲のアンチコメントを見た事がないほどだ。
TMの詩の過半数は小室みつ子によるものだが、この曲の詩は小室哲哉が書いており、それが実にうまくハマっている。
「時が止まったままの僕の心を二階建てのバスが追い越してゆく」
情緒的ですごく良いフレーズだよね。
RUNNING TO HORIZON
TM絶頂期にして充電期間を設けた89年、小室哲哉が最初にソロデビューを果たす。
アニメ「CITY HUNTER3」のOPとして満を持してTMより先にシングルオリコン1位の記録を獲得してしまう。
個人的にも思い入れがひときわ強く、僕が自分の意志で生まれて初めて購入したCDシングル(8cm)なのでした。
シンクラヴィアという当時の最先端のシンセで作ったと小室が自慢してた頃で、随所に散りばめられた電子の効果音にシビレました。
なんやかんやとボロクソに言われる小室ヴォーカルですが、個人的には大好きです。
声量がないだけで音程は外してないので、実は小室さんは音痴ではないんですよ!
それよりも曲というか音ですね、これぞThis is Komuroなメロというかオケですね。
詩もカッコイイですし(ソロなのにTM同様小室みつ子を起用して正解!)。
カラオケで最も唄いたいけど絶対に人前では唄えない曲でもありますねw
渡辺美里
My Revolution
86年初頭にドラマタイアップ主題歌でオリコン1位を獲得。
TMより先に美里のコレが売れたことで、作曲者小室哲哉にスポットが当たり、相乗効果が得られたのは間違いない。
後に小室曰くこの曲のヒットは詩(川村真澄)とアレンジ(大村雅朗)の力によるところが大きいといつになく謙遜している。
きみに会えて
デビューアルバム「eyes」収録の名バラード。
後に自身のカバーアルバム「HIT FACTORY」でピアノオンリーで唄っているが、やはりまだ十代だった美里の瑞々しいヴォーカルと清水信之のアレンジの方がしっくりくる。
TMでも書いていた神沢礼江の詩が泣けるほど素晴らしいのも含めて、個人的にも小室バラードの中でこの曲がナンバーワンです。
BELIEVE
86年にシングルで発売され、87年の「BREATH」ではなく、何故か88年の4thアルバム名盤「ribbon」に収録された楽曲。
後年小室哲哉が作詞を手掛けることが多くなってきた時、詩の作り方は美里に影響を受けたと本人を前に語っていて、美里もまんざらでもない笑顔で「知ってる☆」と答えていたが、おそらくはこの曲が一番影響力が大きかったのではないかと推測する。
数ある美里の小室楽曲の中で個人的にはこの曲が一番好きです。
VS 岡村靖幸
渡辺美里のアルバムには必ず小室氏の提供曲が2曲ほどあり、美里はエピック総出のアイコンだった。
ダブルアルバム「Lovin’you」は小室氏と岡村靖幸の一騎打ちのようなアルバムで、両者ドロー!と判定するしかない贅沢すぎる熱量がパッケージされている。
95年、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小室氏の対談番組「MUSIC CLAMP」に出演した岡村靖幸が「小室さんナンパってします?」「ギャルってどう思います?」とか聞いてたのが最高に面白かったです。
アイドル楽曲提供
岡田有希子/水色プリンセスー水の精ー
85年に岡田有希子のアルバム「十月の人魚」内に2曲を提供したのが公式では最初のアイドル提供仕事となる。
後にラジオのトーク番組(伊集院のohデカ)にて小室が個人的に思い入れのあるマイナー楽曲は何かと質問され、岡田有希子の「水色プリンセスー水の精ー」を挙げた。
中山美穂/JINGI・愛してもらいます
86年に映画ビーバップハイスクールのED主題歌として松本隆と初タッグ。
当時小学生だった当方が一番最初に小室楽曲をテレビから耳にしたものであり、中山美穂は嫌いだったのだがこの曲のメロディが大好きで、数年後に小室作品だと知った時は「あぁ、やっぱりそうか!」と嬉しいくらいに腑に落ちた。
松田聖子/Kimono Beat
87年、松田聖子の産休明けの復帰アルバム収録曲。
先行シングル候補曲として最終選考まで残ったが、レベッカ土橋作曲の「Strawberry Time」に譲る結果となった。
自身でも後にカバーアルバム「HIT FACTORY」で男性側のアンサーソングに替えて唄っているが、これもオリジナルの聖子ヴァージョンの方が何故か小室サウンド寄りのアレンジ(大村雅朗)で良い。
聖子にはもう何曲か小室の曲を歌ってほしいと思うくらい音と声の相性が良い。
神田沙也加に期待。
小泉今日子/GOOD MORNING-CALL
小室曰く「self control」と同じコード進行でやってしまったと後に反省していたが、アレンジが別(清水信之)なのでそれほど同一には聴こえないので全然セーフだと思う。
キョンキョンのイメージにピッタリの小室節炸裂のピコピコポップチューン。
後に自身のカバーアルバム「HIT FACTORY」で唄っているが、こちらもオリジナルの圧勝w
この頃(88年)から小室サウンドは女性が歌った方がより映える印象が出来上がっていた気がする。
宮沢りえ/Dream Rush
これまでは美里以外のアイドル提供曲のアレンジは外部奏者に任せていたが、ついに小室が作編曲まで携わり、結果的に最初のTKプロデュース女性アイドル楽曲となった。
ギターはデビューして二年目のB’zの松本が弾いている。
この曲もカバーアルバム「HIT FACTORY」に収録予定であったが、何故かお蔵入りになる。
気持ち悪いのは承知でどうせなら聴いてみたいw
TKプロデュース 90年代の功罪
TMNリニュアル~過渡期~終了
TBSラジオ・スーパーギャングエピソード
91年当時深夜のTBSラジオで「スーパーギャング」って番組がありまして、僕はオールナイトニッポン派だったのですが、金曜日のウッチャンナンチャンに飽きてきた頃で、チューニング(笑)を回したらTMの三人が楽しげに喋っていて、毎週聴くようになったのですが(でも半年くらいで終わった)、エンディングに流れる「We love the EARTH」のピアノがすごく好きだった事と、小室が「TMの歌を風俗店のコピーに使うなら、LOVE TRAINに乗ってみない?か、WILD HEAVENにイってみない?がいいよね!」って自信たっぷりにシモネタかましてたのが印象に残ってます(爆)。
あと心理テストでかなりのロリコンと診断されてました(笑)。
前年(90年)の木根さんのオールナイトでは呼ばれてもないのにしょっちゅうゲストでしゃしゃり出てきてスローな喋りで邪魔しまくってたり、自ら好んで外回りレポート(ジュリアナとか当時のディスコ・笑)したりして、その頃の小室さんは一番楽しそうだったなぁと今にして思ったりします。
trfを始動してプロデュース業に入ってからはもう忙しくてどんどん遠い存在になってく気もしたんだけど、それはそれで小室の音が徐々に大衆に広がっていくのが素直に嬉しかったのです。
V2/背徳の瞳
92年初頭にシングル一枚だけのYOSHIKI(X)とのスペシャルユニット。
89年のXのデビューに衝撃を受けた小室は翌年90年にバンド名をTMNとリニュアルし、音楽性もこれまでのスタイルをいったん捨ててハードロック路線に切り替えたほど影響される。(従来のファンからは当然不評)
当時から尖りまくっていたYOSHIKIだが、小室に対してだけは敬意を払って接していたことから、周囲のスタッフ関係者からは小室は「猛獣使い」と言われていたらしいw
当初はアルフィーの高見沢をヴォーカルに据えて3人でやるはずだったのだが、レコ社の関係都合等大人の事情で適わず、小室もYOSHIKIも互いにヴォーカルを譲り合う形となり、YOSHIKIの拒絶の意志が固すぎたことで小室が折れてメインヴォーカルは小室に決定した。
個人的にもこれは高見沢のヴォーカルだったらばもっと評価された曲だろうなと悔やまれる。
観月ありさ/TOO SHY SHY BOY
91年に「夢だけのボーイフレンド」を手掛けた後のTKプロデュース二作目。
誰が何処から聴いてもすぐに「小室だ!」と解るほどの小室節全開の曲調が清々しい。
この後のセカンドアルバムにも数曲楽曲提供しており、TKプロデュース黎明期としての位置付けにあたるのが観月ありさであると定義付けて間違いない。
東京パフォーマンスドール/十代に罪はない
観月ありさの次に小室が数曲続けて楽曲を提供したのが篠原涼子率いる東京パフォーマンスドールだ。
92年=アイドル冬の時代という背景も重なりあまり売れなかったのでかなり知名度は低いが、久保こーじが単独でアレンジにクレジットされるようになったこの曲は、ポップでキャッチーでアイドルソングっぽくて非常に良く出来ていて、個人的にすごく好きな曲です。詩も◎。
中森明菜/愛撫
これも小室節炸裂ですが、松本隆の詩と明菜の低音がものすごくハマってます。
イントロも間奏もサビも小室の良さがスパークしてる感じで、震えるほどの完成度。
男性でもイケるキーなのでカラオケで大音量で唄うと超絶気持ちいいです♪
小室マニアは全員この曲が好きだと思います。
逆にこの曲を評価せずして小室は語れないと断言できる程。
明菜の低迷期だったことで一般認知度が低いのが残念すぎる不遇の名曲。
TMN/一途な恋
93年、小室はシングル「一途な恋」のセールスにTMの命運を賭けていた。
当時大ヒットをかっとばしていたビーイングのグループ達が日本語タイトルで売れていたのにあやかって、これまでシングル曲はデビュー曲以外英語タイトルで統一してきたTMにおいて、久しぶりに日本語タイトルを付してセールスという結果をいつも以上に欲した。
ラジオではベストアルバム「CLASIX」のプロモーションなのにも関わらず、ファンに対して小室は「このベストは別に買わなくてもいいから、今度出るニューシングルを買って!」と歪な本心をぶっちゃけたほどだ。
というのも夏に発売されたtrfの「EZ DO DANCE」が78万枚のスマッシュヒットを記録したことで、TMNとしてはそのセールスを越えられなければ存続する意味がないとまで考えるに至り、小室の中でtrfとTMNを天秤にかける程に今後の指針に迷っていた。
が、結果はその半分にも届かない数字でサビ始まりの売れ線を狙った「一途な恋」は惨敗した。
小室が以前から薄々懸念していた事であり、TM名義で出せば一定数の売り上げは計算できるが、毎度頭打ちの計算通りでそれ以上のマスには広がらず、新規ファンがこれ以上伸びてこないことを嘆いていた。
対照的に生まれたばかりのtrfがキャリア10年目のTMNをあっさりと数字で抜いてしまったことで、小室の中でTMNの終了が決定した。
売り上げという名のマネーゲーム
この事から伺えるのは、小室は決して自分の金銭利益を優先していたわけではなく、売り上げという数字をゲーム(成績)感覚で捉えていて、自分に課したノルマを次々越えて行く事を目標にしながらも楽しんでおり、良く言えば野心と向上心が高く、悪く言えばその頃からTM含め全てが彼のおもちゃの道具(パーツ)感覚で曲をあちこちに提供していた感じがする。
一緒にしたくはないが、ある意味ホリエモンのマネーゲームにも似た感覚とどこか共通する所があったような気もしなくもない。
そういったビジネス面でのクールな感覚が誤解を招いていた気も多分にするのだが、彼の音楽は一見デジタルで無機質なのだがその実とても血の通ったメロディラインで、他の打ち込み系のミュージシャンとは一線を画すだけのオリジナリティが強烈に感じられたし、常に新しい音を探していたわりには歌謡曲風味なコード進行にこだわっていたりして、そのバランスが絶妙に日本人の耳にヒットしたんだと思う。
故に個人的には残念ながら小室の音は世界で評価されるようなものではないと思っているが、その代わり日本では最もポピュラーな曲を作る音楽家であると認定したいと思う。
筒美京平と同率一位ということで。
小室ファミリー
trf
trfとはTK RAVE FACTORYの略。
つまり小室の作る「レイヴ」という音楽の実験場というコンセプトで始まった企画ユニットであったが、全編ほぼ英詩のファーストアルバムを聴く限りはジュリアナ東京のお立ち台を彷彿とさせるいわゆるディスコサウンドで、クラブで小室がDJをやったらこんな感じの音楽が流れるのかなという仮想ダンスミュージックの粋であったのが、セカンドミニアルバム「EZ DO DANCE」では全曲日本語詞のキャッチーなダンスチューンに垢ぬけた事で一気にファン層を広げ、プチブレイク後のシングル「寒い夜だから…」では当時市場が急成長していたカラオケを意識した売れ線ポップスで狙いすましたようにヒットを放ち、94年5月シングル「survival dAnce」6月「BOY MEETS GIRL」7月ミニアルバム「BILLIONAIRE」で念願のミリオンを3作連続で早々に達成する。
小室ファミリーの「顔」ともいうべきグループで、ヴォーカルのYU-KIがこれまでの長い間いっさいノースキャンダルでバラエティ出演などもせずに全く生活感を感じさせずにいるそのスタンスが、極めて奇跡的な模範生であるともっと褒め称えるべきだと思いますね。
globe
結成当初はMARCとKEIKOの二人組を予定していたが、出たがり故か結果的に小室自らがメンバーに加わったことで小室ファミリーの本丸の位置付けとなり存在感も別格となった。
小室は楽曲に思い入れの強弱がものすごく判り易く反映されるので、自らがメンバーでもあるglobeの楽曲に手を抜くはずもなく、小室ファミリーにおいてglobeの楽曲は圧倒的に良曲比率が高かった。
ファーストアルバム「globe」は400万枚越えの大ヒットとなり当時のCDアルバム売り上げ記録を塗り替えた。
実際にglobeの1stは完成度が高くバランスも良く、this is 小室哲哉と銘打つ事に異論の余地がない程に頭抜けたアルバムだったと今でも思う。
安室奈美恵
SUPER MONKEYSですでに売れつつあった安室を、ソロで小室プロデュースで売り出す事で更なる飛躍に拍車がかかり、結果両者winwinの大成功となった。
ミニスカブーツのコギャルファッションのアイコンとなった安室であるが、その安室のバックには常に小室サウンドが共に流れていたという印象を僕らの世代に植え付けた。
個人的には第一弾シングル「Body Feels Exit」が大好きであったが、後のアルバムでは大幅なスパニッシュアレンジが施されていてガッカリした覚えがある。
こんな事言ってはアレだが安室のアルバムは雑な捨て曲が多かった印象。
小室プロデュース全盛期、最も駄曲を提供されていた駒が安室だったと思う。
同時期のglobeや朋ちゃんと比べると明らかに適当に無機質に作った楽曲が多く、ちょっと可哀相な気もしたものだが、あの時期何を出しても売れる勢いだったのと、恋人でも所属グループでもないわけだからどうしたってそうなってしまうのも仕方ないか。
でも大文字に換えたばかりのTRFはもっとひどい糞曲与えられてたけどw
で、中でも最もひどい曲がアルバム発売直前に出た「You’re my sunshine」。
これはtrfの「Brandnew Tomorrow」とサビのメロディが全く一緒でびびった!
コードではなく歌メロが一緒なので詩が違うだけ!
小室自身後日発売してから気付いたと苦笑したコメントを出していたが、何故スタッフゥ~は誰も気付かなかったのか。
絶対誰か一人くらいミックスダウン前につっこめたはずなのでは?と思うのだが、もはやそのくらい適当だったという証拠だ。
だがこのシングルそんなの関係なくミリオン売れてますw
次にひどかったのが「How to be a Girl」。
これも次のアルバム発売直前の先行シングル。
サビらしいサビがないまま肩透かしで終わる。
アルバムの中盤に入ってる分には全然OKなのだがよりによってこれが先行シングルでしかもアルバムのラスト曲かよと耳を疑った。
よっぽど小室が個人的に気に入ってたのかは不明で謎のままだ。
あとは「Chase The Chance」も「Don’t wanna cry」も「a walk in the park」も個人的にはイマイチで好きになれなかったのだが、この辺は結構有名ですね、何せどれもミリオンだし。
有名どころでは第一弾の「Body feels EXIT」や「SWEET19BLUES」「CAN YOU CELEBRATE?」はさすがによく出来てると思います。
妊娠休業明けは更に微妙な曲が続くのですが(ミリオンも出なくなる)、その次のこれまたアルバム発売前の先行シングル「LOVE2000」が個人的には好きでした。
母親を亡くして一年経ってないというのに「何故だろう、同じ星の下で略奪や殺人なんてあるの~!?」と唄わせる小室は鬼かと思いましたが、曲はカッコ良かったです。
そのあとのサミットソングの「NEVER END」には期待外れでガックリしましたが。
それでも最後の小室プロデュース曲「no more tears」はイマイチな知名度と扱いにモヤモヤするほど個人的には小室サウンド最強の泣きメロとして世に推したいのです!
これはアルバムリカットシングルのカップリングで、A面が「Think of me」という小室じゃない方のバラード曲がプッシュだった為、一般的には非常に知名度が低くもったいない曲なのだが、個人的には安室X小室のベストワンソングです。
メロディが心の琴線に触れるというか、ポップなんだけどせつないサウンドで詩も珍しく上手くマッチしてて超名曲なのだが余り知られてなくて残念でならない。
僕は曲を聴いて泣くことはほとんどないのだが(だって男の子だもん)、この曲は意味もなく涙腺がゆるんだ!
特に具体的な背景描写が詩にあったからというでもなく、単純にメロディの響きに感動を覚えたというものすごく稀な感情を体感したという意味で僕の中では別格な位置にある曲だ。
99年以降の小室はセールス的には落ち目に入ったていたが、楽曲作りに関してはまだまだ衰えてはおらず、少なくとも2002年までは良質なポップスを作っていたと思います。
そして引退前に小室に恩返しとばかりに楽曲提供を依頼し、ヒット確定のラストアルバムに小室楽曲をいくつも採用した安室の温情はさぞかし小室を救ったことと思う。
年齢差や男女間、師弟関係を越えた友情が二人の間にはあったのかもしれない。
華原朋美
小室のリアル恋人としてスキャンダラスなイメージを逆手にとった戦略で、見事にシンデレラガールに押し上げられた歌姫の栄華も長くは続かず、悲劇のヒロインとして世間を度々騒がせた。
賛否両論、好き嫌いの分れる彼女の存在であるが、唯一絶対にして言える事は、小室の曲を唄う幾人の女性歌手たちの中で、一番小室楽曲を愛して歌唱していたのは彼女であった事に間違いはないだろう。
そのほとんどの歌手は仕事として歌っていたに過ぎず、KEIKOだって好みの音楽性は甲本ヒロトや斉藤和義と公言していたが、華原朋美は子供の頃に中山美穂の「50/50(フィフティーフィフティー)」を聴いてからの生粋の小室サウンドのファンであるからだ。
実に楽しそうに高音にチャレンジし、実に幸せそうに伸び伸びと小室楽曲を歌いきる華原朋美の並々ならぬ小室サウンドへの愛情に嘘偽りはなく、小室には仕事としてでいいから朋ちゃんにはずっと曲を書き続けてあげてほしいと願わずにはいられない。
実際に小室サウンドを一番理解して歌唱できる女性歌手は華原朋美の他には存在しない。
小室にとって華原朋美はミューズ(芸術の女神)であったことは大袈裟でなく皮肉な事実だ。
現に小室の転落は華原と別れてから始まったのだから。
もし二人が夢の続きを描いていたなら‥‥、小室のここまでの転落はなかったはずだと断言できる。
hitomi
ルックスも歌唱力も平均値でいったい何がどうして小室プロデュースでデビューするに至ったのかはイマイチ詳細不明であるが、めぐりあわせの運によるところが大きいらしい。
おそらくは若い女性の代弁者になりうる逸材として、モデルであったhitomiに可能性を感じたのは小室の方だったのだろう。
小室プロデュースの女性歌手でデビューから直々に詩作を任されたのはhitomiしかおらず、等身大のギャルのカリスマとしていち早く狙いを定めた小室の思惑は後の浜崎あゆみを鑑みるに決して間違いではなかったのだが、いかんせんhitomiには「可愛さ」が全くなかったため、想定していた支持を獲得する事はできなかった。
しかしスマッシュヒットとなった「CANDY GIRL」はシングル三枚目にして既に二人が目指した完成形のビジョンに辿り着いていたはずで、アルバム一枚限りで小室は手を引いてもよかったのではないかと結果論ではあるがプロデュースを続けた意味がイマイチ見出せない。
鈴木あみ
顔の可愛さだけで「ASAYAN」公開テレビオーディションを勝ち抜いた世紀末アイドル。
小室がアイドルを一から育てるというのはこれまでにありそうでなかったケースであり、小室ブームが落ち着いた頃であったとはいえ、期待の新星である事に違いはなかった。
ファーストアルバム「SA」までは順調な滑り出しをみせたアミーゴであるが、自身最大のヒットがTMのカバー曲である「Be Together」となってしまったのは幸か不幸か。
小室的には華原朋美と決別した後の仕事と考えると、やはり「alone in my room」や「Our Days」を朋ちゃんが唄っていたらまた違ったのかなぁという思いを馳せてしまう。
両親と事務所が揉めて最盛期に芸能活動を長らく休止する不運に見舞われたのも含め、もう少し明るい未来があったはずなのにと色々思うところはあるが、その後アイドル歌手としては松浦亜弥に全部持っていかれたであろうから、旬の時期が短いのはどのみち確定事項だったのだろう。
4年連続ダブルミリオンの4曲
94年~97年の間、4年連続でダブルミリオン(200万枚)セールスを別々の歌手プロデュースで記録したことが一番解りやすくも偉大な小室の功績ではないかと思う。
二番目が松田聖子の24作連続1位記録を小室ソロセカンドの「Gravity of Love」が阻止したことでしょうかね?w
恋しさとせつなさと心強さと
94年 年間2位 202万枚
映画ストリートファイターⅡ主題歌で、篠原涼子と小室の初タッグ曲。
ジワジワとヒットチャートを昇りつめてのロングランで、タイアップ効果や歌手の人気に依存したものではなく、純粋に楽曲の良さが評価されての低速型ダブルミリオンこそ作家冥利に尽きる快感であろう。
前年からTMNのネクストアルバム用にストックされていた曲だったらしく、TMNが終了したことで篠原涼子に渡ったわけだが、結果オーライの極みではなかろうか。
サビ始まりでせつないAメロに躍動感のあるBメロ。
ヒットソングの見本のような秀逸すぎる構成とキャッチーなメロが一度この曲を聴いた者の心を鷲掴みにするだけのパワーがこの歌にはあった。
恋しさと書いて”いとしさ”と読ませ、三段畳みかけのタイトルフレーズは見事という他ない。
wow war tonight~時には起こせよムーヴメント
95年 年間2位 213万枚
ダウンタウン司会の音楽番組「HEY!HEY!HEY!」のトーク内で、浜田から冗談で曲の依頼を受けた事から実現したテレビ主導の企画ユニット。
小室は発売前から「この曲はダブルミリオン売れる」と公言しており、見事に公約を果たす。
多く売れる事を絶対条件に掲げただけに王道の歌ものでいくと思いきや、当時小室が次に来るジャンルとして関心のあったジャングルというリズムを採用した実験曲をここにぶつけた事がまずすごいが、それだけダウンタウン浜田のタレントパワーだけで売れてしまえる自信と余裕があったという事なのだろう。
震災以降この曲の歌詞が再評価され、大人の男性に向けたメッセージソングのようでもあり、小室の曲は好きじゃないという人でもこの曲はイイ!という人がわりと居る。
個人的には次の「Going Going Home」の方が好きだけどね。
DEPARTURES
96年 年間2位 228万枚
アーティストにとってバラードでのヒットこそ喉から手が出る理想の形ではないだろうか。
JR東日本のスキー旅行キャンペーンCFソング。
冬うたの定番となった本作がglobeのその後の人気を決定付けたのは間違いないが、trfでのアゲアゲアッパーチューンのイメージが濃かった小室サウンドがバラードでも評価された事こそ非常に大きかったのではないか。
KEIKOの伸びやかな声量は言わずもがなであるが、この歌は最初から最後まで英単語がひとつも入っておらず、作詞の部分にも小室が力を入れて言葉を選んでいたのが窺い知れる。
それは次の「FREEDOM」でも更に顕著に加速するのだが、丁度時代背景的にも楽曲の評価に詩の要素が加味される傾向にあった影響に起因したものなのだろう。
CAN YOU CELEBRATE?
97年 年間1位 229万枚
言わずと知れた安室奈美恵の代表曲。月9ドラマ「ヴァージンロード」の主題歌。
小室自身製作段階でこの曲は大ヒットするという確信があったそう。
結婚式の定番ソングにもなり、カラオケ需要含め最大限多方面において、数ある小室ソングの中でも圧倒的に金銭的な恩恵をもたらした曲ではなかろうか。
まさに小室と安室が頂点を極めた象徴的作品でもあり、栄華の絶頂といえる。
小室と安室のビジネスの関係はまさに二人三脚であり、互いに組まずとも一定の成功は収めただろうけれど、互いが組んだことでの相乗効果が想定以上のものであった事も確かで、まさしく理想的なwinwinな関係であったといえる。
安室奈美恵を思い出す時、大抵の人は小室の曲を唄っていた頃の安室を思い浮かべるだろうし、また小室ファミリーに安室が居たことで小室ブランドがより強固なものとなった。
2000年以降の急落失墜
R&B~トランス期の実験と迷走
98~99年、宇多田ヒカルの台頭によりR&BがJ-POPにも浸透し、当然小室も「True Kiss Disc」という新たな自社レーベルを立ち上げてasamiとのユニット「True Kiss Destination(TKD)」で小室流R&Bの世界を構築するが、惨敗な数字でコケてしまう。
個人的には「TKD」のファーストアルバムは小室の熱量がこもってて、R&Bが苦手な私でも小室の味付けによって聴けてしまう名盤と思うのだが、世間は完全に小室離れにシフトしてる空気で、ブームを築いてしまった後の代償としての焼け野原的な屈辱をこの先しばらく小室は強いられることになる。
ベストアルバムブームにあやかって99年にB’zの記録を塗り替えるつもりでglobeの新曲を挟んでの2枚組ベストアルバムをリリースするも、想定していた数字の半分にも届かず(それでもダブルミリオン)、その後は売れ線ポップ路線を捨ててトランスに傾倒していき、飽き性の小室が珍しく10年もの長期に渡りトランス音楽を探求し続けた。
再始動した「TM NETWORK」でもトランスを取り入れ、実験を繰り返す。
その結果ファン離れは加速し、活動そのものが迷走してるかのように見えた。
asamiと離婚、KEIKOと再々婚
01年にasamiとデキ婚をするも02年3月にはスピード離婚。
結婚発表時、プライベートを逆手の広告に使って、「Kiss Des」と「globe」の新譜を宣伝するも、悲惨なくらいに売れず、翌年には渾身の「Lights」「Lights2」を続けてリリースするも振るわないまま、メンバーのKEIKOと離婚から8ヶ月後に再婚し、披露宴はテレビ中継された。
この時すでに小室の財政は怪しく、98年に香港で設立した「ROJAM」の会社経営が破綻の一途を辿った結果、後の詐欺事件へまで転落していくことになろうとは、KEIKOは知る由もなかった。
詐欺容疑で衝撃の逮捕
溶けた印税
この件に関しては公に詳細が告げられることもなく、憶測半分で色々と語られているが、一言で説明するなら、株で大損こいて負債を抱えたということだ。
アジア制覇なんて最初から考えなければよかったのにね。
おそらく絶頂期の小室の資産を運用して更に儲けましょうという甘い企画を持ってくる者が次から次へと後を絶たなかったのであろうことは想像に難くないが、海外(しかも中国)を拠点にビジネスを展開するというのは大変だという事を70億円の授業料で学んだというわけだ。
小室の資産は100億以上あったので、それでもまだ30億以上は残ってるわけだが、asamiへの慰謝料と麻痺した金銭感覚での私生活を続けた結果、5年で底をついたという結末。
この背景にはヒットさえ飛ばせばなんとかなるという楽観的な自信が小室の中にあったからだ。
05年リリースの「globe2pop/rock」は、10年前の夢よもう一度!という小室の売る為の気概に溢れたアルバムであったが、どんなにキャッチーな曲を作ろうと小室の時代は終わっていたし、CDが売れない時代にも突入していた。
言い訳をしない小室哲哉
CDバブルの終焉をようやく肌で感じ取った小室は一発当てて返済というギャンブラーな思考を捨てて、持ち掛けられた詐欺話に乗っかってしまいます。
今にして思えばハメられたという思いもあったはずです。
ですが小室はこの件に関して一切の言い訳はせず、ひたすら自分の罪を猛省する弁を述べるに止めるのでした。
おそらくハイエナのような連中にしゃぶりつくされた部分もあるでしょう。
ですが全ては自身の脇の甘さ、自己管理能力の欠如と慢心からくるところが原因であったと口を噤むのでした。
小室哲哉は昔から言い訳をしない人でした。
過去には華原朋美との別れ方に関して、華原側は自分都合で各方面に語るのに対し、小室はいっさい何も語りませんでした。
「朋ちゃんが先に浮気したからだ!」とか言うのは逆にカッコ悪いからでしょう。
asamiに関しても、娘に関してもいっさい語りません。
全ては本妻であるKEIKOに対しての気遣いもあるのでしょう。
ですがそれ以上に根本的に小室は人を下げる悪口や感情的なディスり発言を元からしない人間だったからです。
小室哲哉は傲慢だったなどと叩かれましたが、彼より傲慢なタレントミュージシャンは五万と居ます。
どこからどう見ても小室哲哉は徳を持ってる基本優しい人間です!
初公判回述
初公判にしてネタのてんこ盛りでした。
まず絶頂期の散財ぶりとしてはtrf各々にお年玉一千万円ずつあげたとか。
KEIKOを楽しませたかったって言うけど、そのへんの普通の自信のない小金持ちのおっさんと同じようなメンタルでしか一回り以上離れた女を満足させてあげられないと思ってたことが情けないし哀れだ。
こんなふうに散財の経緯を暴かれて、しまいにはズゴックの下着までネタにされて、これ以上ない程の羞恥刑にすでに処された状態でしたが、それにしてもここまで堕ちると痛快なだけに、同情票も多いもののファンとしては痴漢で捕まる次くらいのレベルの切なさと恥ずかしさと情けなさでいっぱいでした。
B’zがこんなふうになるなんて誰も想像できないっしょ?
小室がこんな風になるなんて00年代半ばからは怪しかったとしてもミレニアム期には想像もできない事態なわけですよ。
こんなに哀れで情けないチンカスみたいな存在に成り下がるべき人であるはずがないのに。
でもね、だからこそ奇特であり異常な星の下に舞い降りて運命に揺さぶられる選ばれしスターであるとも言えるわけで、やはり只者ではない特殊な天才なんだと認めざるを得ないのです。
小室哲哉、天と地と
本人も以前、年齢も同じだし意識してると発言していたのだが、マイケルジャクソンと共通するだけの何かがありますよね。
億万長者からここまで堕ちれる人は滅多にいないでしょう。
この不器用さが彼の魅力であるとも言えるのです。
小室クラスでなくともスマートに成功して3~4年に一枚固定ファンにのみ届くアルバムを出して勝ち逃げする左団扇の揺るぎない勝者はいっぱいいるけど、そんな輩よりも身を削ったエンターティナーな方が断然素敵だし人間臭くて味がある。
人間最後にはその人がどれだけ弱かったりダメだったりしたかが愛しさの査定となるものだ。
弱さもダメさもない人間なんていないとは思うが、それを隠し通す人よりも曝け出してしまえる人の方が最終的には愛されるのです、きっと。
狡猾に生きてどうする。
網の目をすりぬけるより絡まってのた打ち回る方が劇的に決まってる。
汚れないまま生きたって最後には焼かれるんだぜ。
あの世にお金は持ってけないし、派手に散財するのは決して悪いことじゃない。
小室の場合は香港での事業失敗で70億の損失を出したのがやけっぱちになった大きな要因だと思う。
それに比べたら元嫁の慰謝料や現嫁の浪費なんてたいした額じゃない。
俺だってもし必死こいて貯めた一千万円のうち700万円が消えちゃったら…もうパァーッと300万円使っちゃえ!って・・・思わないけどさ(笑)。
あんなにカッコよかったのに今じゃしょぼくれた初老の犯罪者。
そんなの悲しすぎるけどその先の行く末を見届けたくて変な期待が高まり始めてる。
今後も幻滅するような事実がわんさか出てくることと思うが、全て受け止めて愛しく見守り続けていこうと思うのです。
例えもう良い曲が書けなかったとしても、生きているだけで価値がある人だと思うから。
復活、そして引退
小室逮捕後のワイドショーではコメンテーターが「彼がこの先時代にあった音楽を作れるとは思えない」などと軽くディスっておられましたが、21世紀の音楽なんて90年代の焼き直しであり、何一つ進化してないのでご心配なく!日本の経済や風俗同様、音楽業界も絶賛停滞中ですから!!残念!!!
小室哲哉はまだまだ全然他とわたり合えるどころか誰にも負けちゃいない。
この衰退しきったJ-POPの失われた10年を巻き返せるのはやはり小室しかいないのではないか。
なんだかんだいって世間(半数以上の人間)は小室の逆襲を待ってるのではないか。
似たようなエセ小室ダンスビートはavexを中心に溢れたけれど、結局小室を越えるような商業作曲家は現れなかった。
浜崎あゆみの曲なんて全部小室が書いたボツ曲のチンカスみたいなのばかりじゃないか。
ELTなんて五十嵐が限界を感じた時点でglobeに敗北だろ。
脱ゼイルなんてtrfの足元にも及ばぬわ。
MAX松浦は絶対に解っている。
そこそこ優秀なコンポーザーを何人も集めては曲を書かせてはみたが、誰一人として小室の才能には敵わなかったということを。
そして誰よりも小室の才能を妬ましくも愛していたことを認めたんだと思う。
小室にはもう一花咲かせる宿命があるように思えてならない。
avexは現在90年代に活躍したアーティストの墓場状態である。
今こそ小室の曲をGacktが清春がV6が浜あゆが唄えば面白いと思う。
どうせならこの際もっかい鈴木亜美をプロデュースしてもいいし、ね。
そう考えるとなんだか楽しくなってきたぞ?
小室哲哉の真髄はやっぱりいろんな人に曲を書いてこそ一番魅力を発揮するウラカタ作曲家なんだと思う。
ただ幸か不幸かルックスが良く、出たがりの性格だった為に表舞台に立つフロントミュージシャンになってしまったけれど、本来は筒美京平のような立ち位置で楽曲を量産するのが似合ってる気がする。
だから個人的にはglobeもTMNもやらなくてもいいとさえ思えます。
今のスタンスで馬車馬のようにいろんなタイプの歌手に曲を提供してくれればもうご飯何杯でも食べられます。
小室哲哉は天才商業音楽家なので量産が似合ってる。
アーティストでもキーボーディストでもない、商業作曲家。
合成着色料でキラキラで体に悪そうな甘いお菓子みたいな曲をいつまでも書き続けてほしいと願うのです。
AAA/逢いたい理由
第一印象は可もなく不可もない凡作。”まぁこんなものかな?”
二回目に聴いたときは”ラストのシンセソロが懐かしい感じだな♪”
三回目に聴いたときには”無難でつまんないな、もう飽きた”だった。
しかし何度か聴いてるうちに、聴く度に印象は覆っていった。
8回目に聴いたときは”これ結構良曲じゃね?”と思い始め、9回目に聴いたときは”小室哲哉はまだやれる!”と確信し、10回目の夜に・・・愛してた(By Joy to the love)。
じゃなくって、すっかりスルメソングになっていました。
ホントに10回聴くと耳に馴染んで中毒性を放ち始めるあたり、まさに小室マジックのかかった黄金期の眩しかった曲の数々とひけをとらない出来栄えだと感じました。
小室哲哉はまだまだ終わっていなかった。
個人的な感想だが、復帰第一作でこう感じられたことが嬉しかった。
AAA/BUZZ COMMUNICATION
というわけで事件から2年以上の月日を経て、ついに小室哲哉復活最初のプロデュースワークにして最高のクオリティで放った当アルバム。
全盛期の小室サウンド全開でポップでキャッチーでダンサブル!
長い沈黙期間に作り積み上げた音とフラストレーションの解放、小室に求められてる音の全てを具現化したサウンドワーク。
これだよこれ!これをみんな待っていたんだよ!!
KEIKOくも膜下出血で倒れる
震災の年の秋、KCOが倒れた。
たまたま自宅にいた小室自らが救急を呼び、KCOは命こそ助かるが、記憶障害という致命的な後遺症と向き合って生活していく事となってしまった。
あの力強くて躍動感のあるKCOの歌声はもう聴くことはできなくなってしまった。
大分の実家で静養しながら、小室も東京と往来していた。
Twitterでは毎日「おやすみ」しか呟かないKCO。
現状を訊かれると苦しい表情で言葉を選ぶ小室。
何年経過しても表に出てこないKCO。
回復はしてるのか?実はあんまりよくはないのか?
度々マスク姿で一見すると元気なKCOの姿がスクープされるも、公式の場にKCOが現れて話す事は今もない。
くも膜下出血の死亡率は50%なので、生存して生活できてるだけでもラッキーな事ではあるのだが、歌を忘れてしまったKCOについて語る時の小室は、前向きな言葉を述べながらもいつも悲壮感を隠せずにいた。
「小4程度のドリルをやってる」
音楽を表現するパートナーKCOは、もういない。
事件によるストレスが原因ではないか?
小室も随分葛藤したに違いない。
これが小室に対する天からの罰だとしたら、あまりにも無慈悲である。
TM NETWORK/QUIT30
何度裏切られても待ち続けたFANKSに対して、30周年という節目でTM NETWORKのケジメだけはなんとかつける事ができた。
オリジナルアルバムリリースとツアーの決行。
プロのミュージシャンならごくごく当たり前の仕事をこなすのも、色々なしがらみや事情や体の不調が重なって難しいものとなっていたが、3人は無事にミッションを遂行した。
長らくファンでいたつもりでいたが、TMのオリアルを定価で購入したのはこれが初めてかもしれないw
やはり原点でもあるTM NETWORKでおもちゃを与えられた子供のようにシンセサイザーを楽しそうにいじくってる小室を見るのが一番しっくりくるのです。
文春砲からの引退劇
週刊文春に不倫スキャンダルを報じられてすぐに小室は記者会見を開いてケジメとして突然引退を表明した。
不倫関係自体は否定し、涙ながらにEDであるとも告白。
これに関してはなんとも言えないが、こんなつまらないスキャンダル(裏切りのニンニク注射)をきっかけに引退して逃げるというのはどうなのか。
avex松浦社長への借金返済が終わってないなら不義理であるし、終わっているなら自由だが、どちらにしてもあまりに唐突で、逆ギレみたいな逃げ方はどうなのか。
彼の事だからまたいつか必ずシレッと復帰するはずだとは思うが、こうゆう身勝手さが小室の持つ変わらない危うさなのだろう。
今こそTK CAMPファミリーフェスをやるべき!
1995年よもう一度
「avex dance matrix ’95 TK dance camp」というイベントが95年の8月に行われたのだけど、まさしく小室祭りであり、小室ファミリーが集結して代わる代わる歌っていき、trfをはじめデビュー直後のglobeやTKプロデュースが決まったばかりの安室奈美恵、観月ありさ、篠原涼子、hitomi、ゲストに坂本龍一、トリにはH jungle with tといったメンバーが一堂に集ったお祭りイベントで、収益は阪神淡路大震災の義援金に寄付された。
このような小室ファミリーを集めたライブイベントって絶対に需要はあると思うんですけどね、今でも。(コロナ禍では当分無理か)
小室は復帰についてCDの新譜(新曲)を出す可能性は示唆したが、ライブイベントなどで人前に出る気持ちはまだないらしい。(古市のラジオゲスト出演時談)
もうあれから四半世紀(25年)も経つんだね。
我々も年を取るはずだ。
あの時代のソレは、若かりし頃の青春だったんだ。
1995年は震災とオウムサリンでめちゃくちゃ暗い世相だったけれど、それでも野茂とイチローが活躍し、テレビではダウンタウンが頂点を極め、そしてJ-POPはミスチルと我らが小室哲哉がしのぎを削って、カルチャーは決して暗くはなかった。
2020年の現在、コロナで世界中が大変で、オリンピックも延期(消滅?)で、芸能人はYouTubeに流れて、音楽はとうにオワコンになって久しい。
この世界を救えるのは‥そう、今こそ小室サウンドの出番だろう。
乃木坂46の新曲「Route 246」で作編曲復帰決定!!
復帰決定です!!
なんとあの現在日本で一番人気アイドルグループ乃木坂46の新曲に楽曲提供という形で、この度小室哲哉氏のミュージシャンとしての仕事復帰が報じられました。
単純に嬉しいですね。
同い年である秋元康氏もずっと小室のことを気にかけてましたからね。
この大仕事ひとつで借金返済も一気に現実味を帯びてきましたね。
でも配信限定シングルで握手券もないしまだ厳しいか?w
ところで秋元康作詞の小室ソングといえば…
■作詞:秋元康/作曲:小室哲哉 過去の作品
1986年11月:原田知世「家族の肖像」
1987年3月:堀ちえみ「愛を今信じていたい」
1990年6月:郷ひろみ「空を飛べる子供たち Never end of the earth」
1993年9月:牧瀬里穂「国境に近い愛の歌」
1993年9月:牧瀬里穂「キャンセルされたプライバシー」
1995年7月:翠玲「恋をするたびに傷つきやすく・・・」
2010年11月:やしきたかじん「その時の空」
引用元:Music Voice
あと「HIT FACTORY」収録の一曲目「思い出を置き去りにして」(原曲は堀ちえみの「愛を今信じていたい」)も秋元康氏が書き下ろしてましたね。
秋元康氏の友情に感謝ですね。いいとこあるじゃん。
これからの小室哲哉に期待すること
これからは新しい音を意識するよりも、あの頃の懐かしい旋律を意識して曲を書いてほしいですね。
小室哲哉の作る音は活気のあった頃の日本の象徴みたいなものだから、ね。
やはり元気のない日本を奮い立たせるには‥小室サウンドしかない!!
随分昔に小室は「自分が例え消しゴムを作っても買ってくれる人が10万人は居る」と固定ファンの数を誤解されるような表現で語った事がありましたが、おそらく今は一万人もいないでしょうけど五千人くらいはまだ確実にいるでしょうから、もうマス(大衆)をターゲットにヒットを飛ばす夢は過去に置いといて、その大切な五千人のFANKSの為にハートフルな音楽を届けてくれることを切に望みます。
でもヒットしないと彼は満足しなそうだからそこがやっかいな所ですけどね。
肩書きは作曲家・小室哲哉
渡辺美里の「My Revolution」は、アレンジャーの故・大村氏の功績が大きいと言われているが、あの曲がもし小室のアレンジで発表されていたらあんなに長くは愛されていなかったかもしれない。
だからといって小室はアレンジャーとしても無論素晴らしいのであるが(大江千里の小室編曲はどれも○)、自身の曲は他者にアレンジを任せた方がより楽曲が生きるケースがいくつもあるのもまた事実だ。
80年代のアイドル提供楽曲に当たりが多いのはそうゆう事だと思う。
小室プロデュースの作品の中でも、小室がアレンジまで手掛けた物よりも、久保こーじに編曲を一任した物の方が明らかに良い曲が多い。
詩に関しても小室が書く必要ってあまりなかった気がする。
彼はやはりコンポーサーの位置が一番しっくりくるのだ。
詩も編曲も他人に任せて、曲だけ書いてればまだまだ余力はあると思う。
もうプレイヤーとして表に出てこなくてもいいとさえ思う。
小室哲哉が最後に名乗る肩書きは、globeのメンバーでもTMNのキーボーディストでも新人アイドルのプロデューサーでもなく、いち作曲家であって欲しいと強く願う。