子供を注意深く見守る
基本的に親が子供の学校での現状を知るのは直接本人から聞かない限り困難であり、特に思春期の男子などは聞かれても「別に」と言って答えないのが普通なので、なかなか知る術がないものですが、それでもちょっと観察すれば表情の暗さや素振り等でなんとなく学校でうまくやれてないんじゃないかというのは読み取れると思うんですね。
そして踏み込んで話しかければ一言二言ヒントらしきものは出てくるはずなんですよ。その時に親は面倒がらずにとことん向き合わなければならないのですが、親も忙しくてそのうち時間が経過すれば好転するだろくらいの甘い認識を持ってしまいがちなんですが、ここは非常に重要な分岐点なので子供が心配で大事であるならば絶対に様子見でスルーしてはいけないのです。
後悔しないために
いじめ自殺問題が起こると必ずマスコミは学校の対応をやり玉に挙げるのですが、もちろん加害者の自宅に押し寄せてどうこうできない事情がある為、学校が対象になるのは仕方がないのですが、個人的には被害者の親は気付かなかった、学校が何もしてくれなかったで悔やむだけじゃダメだと思うんです。
当然その後自分たちを責める心理も働くでしょう。でももはや手遅れです。一生後悔の十字架を背負う事になるのです。被害者なのに子供に対して何もしてやれなかった不甲斐なさから懺悔の気持ちを抱えながら毎朝仏壇の我が子の写真を前に祈るのです。
最悪な気持ちが永遠続くのです。想像するだけ地獄ですが、今でも日本中にそのようなご両親が幾人も存在するのです。自分たちがそうなってしまわない為に今できる事を全力でやらなければなりません。子供を守れるのは親だけです。学校なんかに全てを任せてはいけません。
受容と対話
普段からの親子のコミュニケーションが大事ですが、思春期の子供は親との距離を置きたがるものなので、どう接していいかわからなくなる親御さんが多いと思うのですが、それはいつの時代も同じなのでそうゆうものだと放任しがちですが、子供が学校でいじめられてるかもしれないとなったら話は別です。放っとくわけにはいきません。
ですが特に男子はいじめられてるなんてカッコ悪くて恥ずかしくて認める事はプライドが許さないのでハッキリ自白はせず、体の不調や勉強のせいにしたりしていじめで悩んでるわけではないという態度をとります。
親はそれを鵜呑みにしてはいけません。しかし学校に行きたがらなかったり、休みたいと訴えてきた場合はまず速やかにそれを許可してあげることが第一です。
さぼり癖がつくかもしれない、学業に遅れが出るかもしれない等、子供の登校拒否をすんなり受け入れられる親はほとんど居ないでしょう。ですが子供が学校へ行きたがらないのにはそれ相応の事情があるのは間違いないのです。行きたくないと言ってるのに無理して登校を促すのは虐待に等しいです。
義務教育とは教育を受けさせる義務であって学校へ通わせる義務ではないのです。
親としての器量
登校拒否は判り易いSOSであるので、家庭滞在時間の長いこの機をチャンスと捉えてコミュニケーションを図りましょう。そのうち必ずポロっと真実を言葉にしてくれるはずです。
例え何も言葉にしてくれない場合でも、気の済むまで休む事で本人も当然焦りは感じているのでそのうち学校に行こうと思うようになります。それでも一向に閉じこもったまま出てくる気配がなければ本人と相談してフリースクールか転校するかを示唆しましょう。
決して「学校へ行きなさい!」と頭ごなしに無理強いしてはいけません。
親としては子の将来が一気に不安になるでしょうが、子供はそれ以上に現状に苦しんでいるのです。現状を緩和してあげなければ将来もクソもありません。親としての器量が試される瞬間でもあります。どうか落ち着いてどっしり構えましょう。