先日今年初めての学校公開がありました。
コロナ禍なので出席番号順に5分割に振り分けられた分散方式で、7家庭だけが授業参観に来られるというわけで、これは人疲れせずに随分快適に見られるぞと軽い足取りで行ってみたら最初から最後まで見に来た保護者はうち(離別夫婦)だけでした。
コロナ禍の学校公開・観に来たのはうちだけだった件
学年が上がるほど観に来なくなる保護者たち
うちの息子は現在小学四年生なのですが、やはり学年が上がるほどに保護者の出席率が減少傾向なのは明らかです。
低学年だとほぼ9割出席するのに対し、高学年だと2割くらいにまで減るということです。
何故学年が上がると保護者は来なくなるのか
おそらくはもうどうゆう授業風景なのか経験により想像できるからなのと、子供の学校での様子に心配するという意識がなくなったからなのだと思います。
正直国語や算数は見ていても全く面白くないですし、親は何も悪いことをしてないのに後ろで立たされてるだけですから。
先生がどんな教え方をするのかは一回見れば充分ですし、保護者会や個人面談で話をする機会もあるのでそれだけでも担任の人となりはある程度掴めますから、わざわざ学校公開に出向いて何時間も授業を参観するというのは保護者からすると苦行に近いのかもしれません。
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学校の様子は行ける時にチェックするのが親の務め
働いていて忙しいというのも理由としてはあるでしょう。
でも土曜日の午前中だけですよ?
作ろうと思えば時間なんて作れるものだし、残酷な真実を述べるならば、これは子供への関心が薄れつつある証明でもあるのです。
欠席保護者達はそんなことはない!と否定するでしょうが、それならば無自覚である分余計にタチが悪いというものです。
子供が学校でどんなふうにしているのかを生で見れるチャンスなんてこんな時しかありません。
この絶好のチャンスを逃がすわけにはいかないはずなのです。
なのに「あの子ならもう問題ない、大丈夫」と安心しきって仕事を優先するのはおかしいです。
問題ないとか心配ないとかそうゆう事ではなくて、学校での子供の様子を間近で見たいという純粋な興味関心はないの?ということです。
子供に関心があれば、例え「来ないでいい」と拒否られたってこっそり覗きに行くのが親なんじゃないの?
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コロナ禍という自粛意識
とはいえ今回授業参観に来た保護者がうちだけだった背景にはコロナ禍という自粛意識が働いたからであるのも確かではあるでしょう。
ある意味こんな時期にのこのこと学校に来る保護者というのはかなり意識低い系であると見下されるという観点も同時にあるかとも考えます。
ですがそれでも今学年の授業風景を見られるのは今回が最初で最後かもしれないので、雨が降ろうが槍が降ろうがコロナが蔓延していようが(?)参戦するしかないのです。
授業参観・昔と現代の違い
自分が子供の頃の授業参観はどうだったか。古い白黒の記憶を思い出してみることにしました。
そういえば現在は学校公開という名称になってますが、昔は授業参観でしたね。
まず9割方母親が来てて、父親も来る家庭はほとんどなかったですね。
昔と比べると現在はかなり父親の来賓率は上がってます。
あとなんといっても服装ですね。
昔の保護者(母親)は皆高島屋で買ってきたようなよそゆきの正装で、厚化粧してかなり頑張ってた印象があります。
それに引き換え現代の親たちは本当に普通の普段着で来てます。
めかしこんでキメてたらかなり目立ちますし逆に恥ずかしいです。
こうゆう所からも着実に時代の価値観は良い方向へとシフトしてるとは実感します。
間違った文化は廃止され、よりよく改善されていく。
水筒持参で水分補給推奨なんて昔では考えられなかったことですからね。
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愛情表現はわかりやすく
あと絶対に子供心としては親が見に来てくれることで愛情を確認する部分はあると思いますね。
毎回親が学校行事に不参加だったら子供は内心複雑な思いを抱えるはずです。
恥ずかしいからもう来ないでと言われたってそれでも行くことで、子供は嫌がりつつも内心では愛されてることに安心するというものです。
だからというわけではないけれど、うちは子供が社会人になったら会社見学に行くぐらいの気持ちでこれからも子供を見守っていきたいと思う所存なのであります。
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