もちろんこうゆう思考は少数派だと思うんですよ。
普通はむしろまず友達であり、なんだったら友達の方が大事だよ!って自信満々に言う私ってイイ奴~って感じかと。
リア充タイプにそうゆう人多いですね。
人それぞれなのでそれはそれでいいんですが、そうゆう人に限ってそうじゃない真逆の価値観の人間を侮蔑批判する傾向にあるんですよね。
友達より恋人!って本音を言おうものなら袋叩きに遇いそうな空気が蔓延しているので、なかなかそんな声は挙がってこないものですが、だからこそその真意を掘り下げてみたいと思います。
そもそも友達づきあいは不要
まず声を大にして言いたいですね、友達なんて必要ない、と。
そもそも作るものではないですからね、トモダチって。
なのに子供の頃って必ず大人に「友達をいっぱい作りましょう」って言われるんですよね、決まり文句のように。
学生時代における友達という呪縛
そりゃね、気の合う人がたまたま前後左右の席だったりして、一緒に居て楽しきゃ友達になるんだろうけど、それって自然な事のようでいて結構かなりの確率で運が良い状況だと思うのです。
大抵は別に相手のことなどたいして知らないけど、仲良くなっといた方があぶれないで済むからとかなんとか腑抜けた理由でつるむんですよ。
そんなのを友達の数にカウントするのが中坊の実態なんです。
だからこそ逆に友達が一人もできないような奴の方が正直なんです。
たかだか一クラスに同い年が十数人いるだけの箱の中で(本当に)気の合う奴がみつかるという方が稀ですから!!
みつからなくて当たり前!いなくて当たり前!
友達なんてできなくて当たり前!(暗くて不器用でバカ正直なら当然)
でもそれは悪い事でもなんでもないと大人は誰も言ってくれません。
でもネットでならいくらでも本当の事や正しい事を言ってくれる人がいるはずなんだけど、現役中坊は視野が狭いからなぁ。
僕も友達がまったくいません
友達がいないということを最近では自慢げに誇っております。
人間嫌いだからしょうがないんです。
自分の時間を他人に割きたくないんです。
他人のために何かしてあげたいとか思えないんです。
友達なんて互いを利用しあう関係だとしか思えません。
利用されたくないので誰とも親しくなりたくありません。
愛する人、愛してくれる人が一人いればいいんです。
だ・か・ら、友達なんてどうでもいいから愛する恋人を探しましょう。
友達いっぱい=善、ハッピー 友達いない=悪、可哀想
このような風潮が蔓延してるこの空気、変えていきませんか?
彼女(彼氏)がいれば友達は要らない!?
恋人がいれば友達は要らない!という考えはどちらかというと男性より女性に多いみたいなので、男性でこのような考えを持ってる人はレア中のレアということになるかもしれません。
私はそもそも友達自体が時間の無駄なので要らないという考えがあるため、このような思考になるのですが、じゃあ恋人なんてもっと時間の無駄だろと言われそうですが、恋人って複数いるわけじゃないので、一人だけだからこそ無駄じゃないのです。
友達も親友ひとりであれば居た方がいいと思います。
要は複数同時に人間関係を紡いでいると自分の時間がなくなるし、しがらみが多くなるだけで良いことなんて何もないってことです。
親友と恋人を天秤にかけるとしても、親友はわがままを言わないし、恋人を優先していいよと言うものだと思うので、共有しあえるものだと思えます。
問題は親友ではない友達(仲間)です。
こいつらは一緒に遊ぶ=友情の証として絆を深めようとしてきますが、この輪の中に自分が入らずともイベントは実行されるので、たいして自分が必要とされてるわけではありません。
しかし恋人とのデートはどちらか一方がキャンセルしてしまうと成立しないので、互いの重要度はMAXです。
この観点からも、必要とされる間柄という点では友達(仲間)よりも恋人であるといえます。
恋人がひとりいれば友達が要らない理由
そして恋人がいればあらゆる意見交換やお出掛けは全て恋人一人で賄えるため、友達付き合いは要らなくなります。
確かに同性の友達と語りたいことや遊びたい時もありますが、私に言わせればそれはもはや浮気であり、恋人よりも友達と会いたいと思う時点で、たいして愛されてない事が判明してしまいます。
本当に恋人の事が好きで好きであるならば、出来る限り時間を共有したいと考えるのが自然現象であり、いつも一緒だと窮屈に感じるだとか嫌いになるかもしれないと思うのであれば、それはもう充分黄信号状態だと言えます。
そして恋人と会えない時間を友人でやり過ごすというのもまた、どちらに対しても失礼なような気もするのです。
友達を利用してるように感じるからです。
異性の友人と遊ぶのが浮気と言われるのであれば、同性の友人だって時間を共有してる事に変わりはないので、それも浮気と定義できるのではないでしょうか?
私は大好きな彼女が同性の友人と楽しそうに遊んでる様子を想像すると嫉妬してしまいます。
でもたいして好きじゃない彼女であればもちろん全然なんとも思いませんが。
つまり同性の友達付き合いを許容できるという感覚は、ライトな愛情だと断定できるのです。
極端な話、重くない愛は愛ではないのです。
男女の友情なんてない!
話が少し逸れるかもしれませんが、男女の友情はあるかないか。
人それぞれの価値観と経験則で意見は当然二分するわけですが、客観的に見る限り、モテる人は「男女の友情はある!」と言う傾向にあります。
モテる人は複数の異性と仲良くなってしまうので、でも恋人枠は一人であるため、セカンドサードは友達扱いすることで関係をキープできるからです。
しかしセカンドサードに甘んじて友人関係を続けてる異性の友達側というのは、隙有ればファーストになりたいという下心を隠しているだけなので、それは本当の友情とは呼べません。
でも一方では恋愛感情に発展しえないような異性間交友に親しい友情なんて生まれるのだろうか?と考えたら、すこぶる疑問に思えます。
恋愛対象には絶対ならないけど友人としてならすごくイイ!なんて、なんだかバカにしてるみたいに思えます。
故にどちらにしても男女の友情なんて「ない」という事が理論証明できるのです。
しかし年を重ねた中高年以降であれば、その限りではないかもしれないという事は付け加えておきます。

人脈はあった方がいいが、ない方がリスクヘッジできる
友達付き合いが広く社交の時間にとられると人生の時間損失がでかいです。
時には友達と語り合って楽しく過ごすことは有意義ですが、それが毎月・毎週末だったりすると、無駄な時間にも思えてきます。
飲み会にかかる経費、遊びに費やす体力と時間、身にならない学びの得られない対話。
その時間、ひとりで自室で勉強してた方がマシどころかプラスです。
勉強しなくても、だらだらのんびりくつろいで休養にあてて疲労回復した方が能率良いです。
確かに交流が広く人脈があった方が何かとチャンスも増えますが、その分当然しがらみやリスクもつきまといます。
所詮人づきあいも相互扶助の精神(ギブアンドテイク)なくしてはありえないので、当然のこととして暗黙のうちに助け合うことが義務付けられます。
「ちょっと面倒くさいから勘弁」というのは通用しません。
でもそんな自由意志が尊重されない間柄なんてもはや友達でもなんでもありません。
つまりほとんどの人たちは友達という名の味方縛りをしているだけです。
自分は助けてもらうけど、人の手助けはしないぜなんて、ダメに決まってます。
でもそうなると、ほとんどの場合が人の手助けに追われることになります。
圧倒的に「Give」が多い関係性なら断ち切ってしまった方が自分のためです。
そもそも究極的には誰もが自分が一番可愛いのですから、ヤバくなったら逃げるのが本性です。
だったら初めから信頼関係なんて結べるはずがないのです。
仲良しごっこは学生のうちまでです。
大人になってもまだ地元友情ごっこしてるような幼い連中は、同類同士でつるんでればよいでしょうが、こちらは断る勇気を持ちましょう。
リスペクト失くして愛も友情も維持継続はできません。

男女の友情はない!
重くない愛は愛ではない!
恋人がいれば友達なんて要らない!