芸人界のトップであるダウンタウン松本人志(吉本興業)や、巨大芸能プロダクションジャニーズ事務所(現Smile-up.社)が、故・ジャニー喜多川氏による性加害問題で叩かれまくっておりますが、これはいじめじゃないのか?と思ったり言ったりする人も出てきています。
そこで今回は、強い者いじめは是か非か?
元強者が弱体化してから叩くのはアリかナシか?
当事者不在で加害者のファミリーに非難を浴びせるのは妥当なのかどうかを考えたいと思います。
強い者いじめはしてもいい?
弱い者いじめはダメですが、強い者でしかも悪いのならば(ここ重要)、団結して叩いてもいいんじゃないでしょうか。
陰湿な形で下駄箱にゴミを入れたり椅子に画鋲を撒いたりするのはダメですよ?
そうじゃなくて悪いところを直接非難する、怒る、解らせる、謝らせるのはいいんじゃないか?
いじめをしてきた者がされる側に廻ると途端に「これはいじめだ!」と都合よく叫びますが、あなたがしてきた事の仕返しなんだから素直に受け入れなきゃ事態は収拾しないでしょうが。
それに特に理由もないのに弱そうだからというだけで行われるいじめと、いじめをした人間を罰する行為は断じて同じではありません。
その違いが解らないようではまだまだ反省が足りないというものでしょう。
理由もなく人をいじめるのは「悪」です。
でも人をいじめたという加害行為が確認された場合、その者は第三者から石を投げられても仕方ないのではないか。
本当はいじめを行っている最中で第三者が石を投げ入れるのが理想ですけど。
因果応報を受け入れよ
これまで許されてきたことが許されなくなった時、人は罰という報いを受けなければなりません。
自分が加害者であったことを認めたら、素直に罪を認めて謝罪をし、代償を支払わなければなりません。
それが人間社会の秩序でありルールなはずです。
権力者は何をしても許されるなんてのは発展途上国と中世の時代までです。
調子に乗って一線を越えてしまった者は引きずり降ろされて当然なのです。
叩かれて初めてこれまでの傲慢さに気付く強者も多い
実際に感覚がマヒしてしまってる者も多く、立場が逆転して初めてそれまでの己の傲慢さに気付く強者というのも珍しくないでしょう。
強者は弱者を見下してもいいと思っています。
だから弱者から反発された時に初めて本来人間同士で対等であるという事実に気付かされるのです。
気付くことは良い事なので、気付かせなければいけません。
だから強者の好きなようにさせていてはいけないのです。
弱者は徒党を組んできっちり強者を解らせるのが務めなのです。
でも弱者は勇気がないので最初に旗を掲げて振る役に挙手する人はなかなかいない為、強者の覇権が長らく続いてしまうのです。
松本人志やJ事務所は非難されてもしょうがない?
長い間超権力者であった者が引きずり降ろされるのは正直痛快なものです。
テレビで見る松ちゃんやジャニーズには楽しませてももらいましたが、そろそろいい加減弱体化してもいいんじゃない?と誰しも内心思ってもいたというのもあるでしょう。
それくらいジャニーズと吉本のダウンタウン派閥はテレビを牛耳っていましたから。
そこにメスを入れる文春という存在もバランサーとして必然であると考えられます。
潜在的アンチが露見してるだけ
芸能人が何かやらかすと必要以上に炎上して叩かれるケースがありますが、それはその人が元から潜在的に嫌われていたりアンチを多く抱えていた事の現れであり、いままで封じられていたものがいっきに噴出したというだけの状態です。
誹謗中傷はまた別の話ですが、多くは批判であり、そこをはき違えている芸能人が本当に多いです。
特権階級であるという驕りが染みついてしまっているのでしょう。
立川志らくなんかの発言を見ていたらそれが容易に感じられます。
芸能人が身内を庇う図を公共の電波で垂れ流すという無意識なる私物化。
芸能人はだいたいにしてカンチガイが肥大化してしまっていて、元来河原乞食であるということを見直した方が良いと思います。
一般人よりも多く稼げてしまう為、勘違いしてしまうのもしょうがないのですが。
弱体化してから叩くのはカッコ悪い
いままで誰も何も物申せなかった王様が弱体化してから叩く民衆というのはカッコ悪いものにも映りますが、それも沈静化するまでの間は仕方がないのかなとも思います。
人のうわさも75日です。
どうしたって時期がきて飽きれば誰も何も言わなくなりますから。
それまでの75日間ぐらいはこれまでの報復(罰)と思って黙って受け入れるべきだと思いますけどね?
世間というのは風向き次第でコロコロ変わるものです。
変わらない信念を一人一人が本来心に持つべきなのですが。
悪い強者がイキってる段階でこそ団結して叩け!
犯罪は現行犯で逮捕が基本であるように、本当は悪い強者がイキってるその時にこそ叩くべきなのですが、無敵のオーラに包まれた圧倒的強者に戦いを挑める弱者なんて皆無です。
物事にはタイミングがあるということなのです。
弱った瞬間を見逃さない。
卑怯でもそうするしか下剋上は成功しない、歴史は動かせないのです。
正義の鉄槌は誰しもに奮う権利がある
現代ではSNSで無名の弱者でも自由に発言ができます。
間違ってると感じたことを世界に向けて問いかける事だって出来るのです。
そして間違った強者に対して苦言を呈す事も出来ます。
強者からしたら「お前なんかに言われたくない」と思いますが、ネット上では誰もが対等に議論を交わせてしまうので、正しい方に「イイネ」が付きます。
本来正義の鉄槌は誰しもに奮う権利があるものです。
ネット上ではそれが容易に可能なのです。
ツールは使い方次第で武器にも防具にもなります。
人を傷つけるために刃を向けるのではなく、自分を護る為に銃を隠し持つくらいの防衛意識は備えておきたいものです。