産経新聞「やっちまえ」
イジメ自殺が社会問題となっている。新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。
イジメに苦しむ少年少女よ、あんなものが何の役にも立たないことは、君たち自身が一番良く知っている。唯一最良のイジメ対処法は報復に決まっているではないか。実はイジメ自殺は何年かごとに社会問題となり、そのたびに真実の声が良識という名の愚論によって圧殺されてきたのだ。11年前にもイジメ自殺が相次ぎ「少年ジャンプ」が悲痛な叫びを特集連載した。
それをまとめた『いじめレポート』(集英社)にこんな声がある。「徹底的に体を鍛えた。復讐のために……。
やられる前にやれ!」(A男)。A男は拳法、柔道で「歩く凶器」となり、イジメを粉砕した。睡眠薬自殺未遂のC子さんは、死を思う気持ちよりも「憎しみの方が強くなった」「私もガンガン殴り返す」「女でもやるときはやるんだ!」。
別の女児もこう言う。「どうしても死ぬっていうんなら、いじめた奴に復讐してからにしなよ」学校では報復・復讐は道徳的な悪だと教える。しかし、それは嘘だ。人間が本来的に持っている復讐権を近代国家が独占したに過ぎない。大学で法制史を学べばすぐわかる。復讐は道徳的には正しいのだ。
現に、ロシヤに抑圧され続けたチェチェン人は果敢に復讐をしているではないか。被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ。少年法が君たちを守ってくれるから。
(産経新聞2006.11.26)
全てが集約された素晴らしいメッセージではないだろうか。
物語でも現実でも、自殺エンドは胸糞悪くて最悪な気分になるが、報復エンドはスカッとする。
当たり前の話だ。
生きてる側に人権擁護機能が働くので死んだ方の負け
いつも「学校いじめ自殺事件」で憤りを覚えるのは、悪質な加害者が執拗に未成年というだけで社会的に守られるからだ。
例え大人であっても直接的な傷害致死でもない限りは、被害者が自殺してもいじめだけでは逮捕もされない。
これは単純に生きてる方には人権問題が発生するが、死んだ者には既に人権が付与されないので、どうしても死んでしまった方のプライバシーが晒されて、生きてる側は報道規制もあって護られてしまうパラドックスが生じるからだ。
そして大概のいじめ事件では被害者が死んでしまうケースが圧倒的であるため、どうしても加害者の実名やらが報道されないことに憤りを覚えるわけだが、今回の「愛知中3刺殺事件」のように普段虐げられてる側の逆襲によってイキってた方が殺されてしまった場合は、途端に胸糞案件から痛快事案に変化するという奇異な現象に様変わりするのである。
そしてこれまで憤りしか感じなかった「少年法」という悪しきルールも、加害者が守られるという点で、結果的にアグレッシブな行動を起こした側に相応の罰則が与えられるわけもなく、殺された方は死に損という点においては、穴だらけの少年法を逆手に取る形となる。
つまり生きてる加害者に優しく、死んだ被害者に無慈悲なのが「少年法」なのである。
いじめ加害者が死ぬと実名報道されるというオマケ付き
未成年のいじめ事件では被害者の名前と顔は晒されるが加害者は報じられない。
しかしいじめられっこが報復していじめっこをあやめた場合は、被害者の立ち位置がいじめっこにすり替わるので、殺されたいじめっ子の顔と名前が晒される運びとなるわけです。
つまり二次的にメディアを巻き込んでの報復がセカンドヒットし、おまけに「いじめがあったのなら復讐してもしょうがない」という同情論まで味方につけられるので、いじめられっこによる派手な報復というのは抜群に効果的だということです。
ずっといじめられていたという事実が明らかになれば、したことによる罪もかなり減刑されるでしょうし、民事でも被害者側(いじめっこ親)に対しての慰謝料もかなり減額される。
つまりは自殺するぐらいなら‥という冒頭の記述はまさしく真理なのである。
裏技として学校内で起きた事は学校に責任が生じるので、被害者は学校を訴えることで税金から賠償金を取りやすくなります。
なので事件は学内で起こした方が良いでしょう。
旭川と愛知から学ぶ「いじめられたらどうするの?」
今年の2大いじめ事件ですが、旭川の件はやりきれなくて煮えくり返りますよね。
一方愛知の方は果たしていじめと呼べるほどのものだったのかその程度のほども疑わしいのですが、結果的に弱者側が殺意を募らせてしまったのですから、例え引き金がただのLINE外しだったとしても、これまでに蓄積された怨みがあったのでしょうから、きっと長い間狭い人間関係の中で納得しがたい力関係によってストレスを与えられ続けていたのでしょうから、やむなしなのです。
旭川の少女はクズに散々尊厳を奪われた後に自ら凍死体となってしまいます。
一方の愛知の少年は蓄積された怨念爆発の一刺しで、うっぷんを晴らします。
どちらも最悪の結果であることに違いはありませんが、究極の2択であればどちらが弱者にとってマシな結末かは明らかでしょう。
いじめは最終的に究極の2択を迫るものなのです。
やるか、やられるか。
そうなる前になんとかならなかったのか‥と第三者は嘆きますが、なんにもできなかったお前らに嘆く資格などないのです。
亡くなられた方の冥福を心よりお祈り申し上げます。
いじめする奴は殺される覚悟を持て!
復讐は何も生まないというキレイごとに惑わされるな!
学校に警察と弁護士を常駐させろ!