80年代回顧録

男闘呼組が音楽の日で復活!期間限定再始動!【パズル】

なんと突然のサプライズでビックリしました!

あの男闘呼組が突如地上波の音楽番組にて復活再始動の狼煙をあげたのですから!

もう絶対にないと誰もが期待すらしていなかったんじゃないか?

生きているとこうゆうことが起こるんですね~

そして何よりそのパフォーマンスが最高だったのが大きな感動となったのです。

全員53歳の4人の笑顔が、別々に紡いだ苦楽を一瞬にして結んだかのような味わいがあったからです。

男闘呼組ってジャニーズだったの?

男闘呼組は光GENJIと同時期に活動していたれっきとしたジャニタレです。

光の後輩でありGENJIの先輩でもあり、忍者の連中とほぼ同期です。

90年代のジャニーズJr同様に、デビュー前からバラエティ番組等で露出はしていました。

成田・高橋・岡本の三人が固定メンバーで、それに加えて数人流動的なメンバーがおり、忍者の遠藤(現ジャニ事務所社員)が楽器よりダンスがしたいと脱退を申し出たことで、東京での活動時だけ参加していた前田がデビュー直前に正式メンバーとなり、ついでに何故かリーダーに任命されました。

デビュー曲「DAYBREAK」は初登場1位でしたが、時代が悪かったのか人気はすぐに陰り、歌番組が次々と終了していった三年目の90年(平成2年)にはもう下火でした。

忍者と光GENJIとSMAPのジャニーズアイドル明と暗時はバブル終焉間際の平成に入った直後、世はバンドブームでアイドルは男女共々後にも先にもないくらいの真冬の時代でした。 この90年代...

男闘呼組はなんで解散したの?

90年代前半は事務所がSMAPに力を注いでいたので、光GENJI、男闘呼組、忍者の少年御三家三組は時代から追いやられており、テレビでも見かけなくなってました。

当時でも珍しくも岡本と成田は20代前半の若さで結婚をしており、しかしすでに人気が下火であった事もあり黙認されたよう。

そこへ高橋一也の大麻疑惑が報じられて(デマ)、なんとそれを鵜吞みにした事務所側はすぐに高橋を解雇したことで、実質グループは活動停止となりました。(現在では考えられない流れですね)

しかし高橋が偉いのはその後いっさいの弁明や事務所批判をせずに、地道に音楽活動と並行して役者の仕事を積み重ねてキャリアを積んで業界の信頼を得たことですね。

逆に成田は09年に大麻で逮捕され、しばらく消息不明になるなど危うさがつきまといました。

新曲パズルは成田のソロ曲だった

そんな成田を少しずつ陽のあたる場所へと導いたのも高橋だった。

もしかしたら成田と勘違いされて大麻疑惑をかけられて事務所解雇までされた高橋であるが、成田を売ることもせず、怨みもせず、逆に更生へと誘うなんて聖人かよ!!

当時はコンビニで働いていたと噂されるほど心配されていた成田だったが、少しずつ歌をまた歌うようになり、ジュンスカの元メンバーでゆずのプロデューサーで知られる寺岡呼人が成田の為に作った「パズル」が完成し、地上波の大舞台でお披露目する事が実現するまでに至った経緯には相当長い道のりがあったと推測される。

この復活の為にジャニーズ事務所を退所しつつエージェント契約を結ぶ等、岡本健一も柄にもなく相当走り回ったと推察される。

そんな困難尽くしの高い壁を乗り越えた先の4人の「パズル」は涙なしでは聴けません。

名曲をありがとう!

ジュンスカは何故ユニコーンとブルーハーツに負けたのか80年代後半のバンドブームの頂点はジュンスカだった。 よく一緒に対バンしていたユニコーンよりも人気は高く、ブルーハーツともいい勝負...

男闘呼組メンバーの昔と今

岡本健一

昔からナルシストの極みであり、キムタクがリスペクトする先輩として知られる。

文句なしの甘いルックスとアイドル的な演奏パフォーマンスで、グループの「華」担当。

昔はイキリたおしていたが、現在では笑顔が絶えず、もう本当にグループの復活が嬉しくて仕方がないという気持ちが全面に溢れていて清々しい。

ずっと独りでジャニーズ事務所に人質で残っていた岡本であるが、それはこの日の為の我慢の日々だったのかもしれない。

4人の中で一番グループの復活を望んでいたのは彼だったのではないだろうか。

高橋和也

昔からメンバーの中で一番音楽的素養があり、バンドサウンドを牽引していた。

当時はグループ内で一番不人気だったと記憶される。(眉毛が暑苦しかった)

しかし一番良い年の取り方をしており、復活した男闘呼組を見た視聴者とファンのほとんどが、まず高橋を絶賛する声が圧倒的であった。

やはり男は中年になると生き様が顔に表れるのだろう。

6人の子を持つ父であることもまた、彼を大きく成長させたのだろう。

成田昭次

昔からやんちゃで放っておけない母性本能をくすぐる系のタイプで、今もはにかんだシャイな雰囲気は女性にモテる天性すら窺える。

リードボーカルでもあることから、アイドル時代はメンバー内で一番人気だったと記憶する。

昔は不良っぽさ全開であったが、今は陰を背負った哀愁が色気を纏い、50を過ぎて尚も女性に愛される空気を醸し出しているのだからたいしたものだ。

笑う事が今でも許されてないと自戒してるかのように、とにかく滅多に笑うことなく俯いてる佇まいが、華奢で抱きしめたくなるオーラを放っている。

前田耕陽

妻がお笑い芸人で明るく楽しく生きてきただけに、幸せ太りで一人浮いているが、これでも昔は可愛い担当で黄色い声援を浴びまくっていた。

今回の復活では前田一人だけオチ担当のようにビジュアル的に色々ダメ出しされているが、グループの中で一人こうゆう癒し担当は必須なので、これで良かったのではないかとさえ思う。

トークの場面では間違いなくキーマンになるだろうから。

中居「男闘呼組は優しくて意地悪しなかった」

番組のMCである中居正広が、ジャニーズ合宿所時代に先輩たちから色々といじられる中で、「男闘呼組のメンバーだけは皆4人全員優しくて意地悪をしない先輩だった」と語ったことで、ネットで少々物議を醸し出している。

中居が「植草君(少年隊)の話で盛り上がった」と言っていたので、まず間違いなく意地悪な先輩=植草である事に間違いないだろう。

が、意地悪をしない先輩が男闘呼組のメンバーだけだったと言っていることから、光GENJIと忍者のメンバーにも意地悪な奴が居たと言っているに等しいのである。

そこで植草の次に意地悪なジャニタレは誰だ?という推察で、まず候補に挙がるのが諸星和己(光GENJI)である。

しかし諸星は中居にとっての目標(憧れ)でもあり、被害を受けたのはキムタクの方だったと思われる。

諸星「木村以外のスマップ飯行くぞー」は有名なエピソードである。

その諸星も植草からは被害を受けており、紅白本番前に諸星の大事な衣装にチン〇の落書きをされた事でマジギレした諸星が、植草に掴みかかって北島三郎がケンカを止めたという話が諸星の本に書かれていたw

植草「俺の方が先輩だぞ!」

諸星「うるせー!俺の方が人気ある!」

つまり植草は後輩いじりが大好きなクソ人間である事に間違いないのだろう。

光GENJIの他のメンバーは優等生的なので全員白だと思われるが、忍者のメンバーはどうだろうか?

以前スマスマ番組内で中居が「忍者超怖い」と漏らしていたことから、結構圧を受けていたのではないかと推測される。

それに対し木村が「遠藤君?」と言っていたが、遠藤は確かに威圧感のあるタイプだが、弱者いじめをするタイプには見えないので、おそらく正木と高木が怪しいと睨んでいる。

高木は植草似のケチャップ顔なので、やはり諸星含めてこの手の80年代ジャニーズ顔は性格が悪いのだろう。そうに決まってる。

忍者はデビュー前にCHA-CHAにシフトして出て行った中村を餞別にフルボッコにしたという噂もあるし、その入れ替わりで加入した平家派だった最年少の古川は大抜擢のセンターだった為、メンバーからさんざんいじめられて後にストレス太りして解雇された経緯があるので、忍者のイメージはあまり良くはない。

いじめでアイドルグループから脱退したメンバーたち人が3人集まればいじめが発生するものです。 特に若くてライバル関係にもあるアイドルのグループなどは最も内情はエグイ事でしょう。 ...

因みに男闘呼組がどのように優しかったのかというホッコリエピソードだが、ベストテン出演後に合宿所に帰宅した男闘呼組メンバー4人が、リビングのソファで寝落ちしていた後輩の稲垣を起こさないように気遣って、コソコソと出演部分のエアチェックをしていたという。

あとキムタクが男闘呼組とのリハの途中で寝落ちしてしまった時にも、映像のボリュームを下げて布団をかけてそのまま寝かせてくれたらしい。優しいのぉ!!

どちらのエピも共通して男闘呼組は寝ている子は起こさないというお母さん的な包容力にあふれてるということだ。

普通の体育会系の上下関係だったら蹴り起こされてるところでしょうに。

 

期間限定復活との事ですが、あまりの人気でそうはいかなくなること必至でしょう。

まとめ

男闘呼組復活おめでとう!!

光GENJIは難しいか?

SMAP・TOKIOは10年後かな?

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