時はバブル終焉間際の平成に入った直後、世はバンドブームでアイドルは男女共々後にも先にもないくらいの真冬の時代でした。
この90年代前半というのはとにかくアイドルの地位がどん底でして、半ばから後半に入ってKinkiKidsやモー娘。で回復しますが、前半のアイドルシーンは本当に見るも無残でした。
アイドル冬の時代・氷河期は不遇の谷間世代
89年にWinkがブレイクして以降、バンドブーム、トレンディドラマ俳優ブームなどが重なり一挙にアイドル=ダサいの図式が一般化されます。
いわゆるそれまでの価値観の崩壊ですね。
自然な現象ともいえますが、この時代にデビューした人達はツイテナイとしか言えません。時代という運に見放されただけであり、実力やビジュアルが他の時代と比べて劣っていたからというわけではないと思います。
ここに世の中の不条理な構図が鮮明に見えてくるだけに、スターになり損ねて消えていった敗者達の失敗を検証する価値はあると思います。
光GENJI・男闘呼組・忍者の不運
昭和最後のアイドル光GENJIも90年以降はMステのみの出演で日増しに影を潜めていきましたが、この時期にデビューしたSMAPもブレイクするまで数年を要し、逆にブレイクできた事が奇跡ですね。
同時期の忍者なんてジャニーズ稀に見る不遇な扱いで全く世間に浸透しませんでしたから。
男闘呼組を含めこの少年御三家はいずれもメンバーが70年前後生まれですが、GENJIの五人はどちらかというとSMAPやTOKIOに近いので早すぎたデビュー故の不運というしかないですね。

忍者とSMAPは紙一重だった!?
「忍者とSMAPは紙一重だったのではないか」
だとしたらこれほど明暗がハッキリ分かれてしまう運命の皮肉が恐ろしすぎる。
SMAPの活躍を忍者の元メンバー達はどう感じているのかと思うと悲しくなってくるので謎の多い忍者について調べてみたいと思ってました。
調べていくうちに判ったことは、どちらかというと忍者と光GENJIが紙一重であったということです。
デビューこそ忍者とSMAPは一年しか違わないが、メンバーの年齢やジャニーズ所属年数を考慮するとひとつ上の世代であったからだ。
それなら初めから失敗する運命だったので諦めもつくか、と思いつつも光GENJIと忍者の差も大きいよな…。

忍者の失敗を考察
「お祭り忍者」二種売りのせいで1位デビュー逃がす
デビュー曲「お祭り忍者」だけはそこそこ知名度はあるものの、それ以降一切知られていないのはTOKIOと同様でもあるが(早々アニメ主題歌を担うところも含め)、このデビューシングル二種売りだった為に当時のオリコン計上は別カウント扱いで割れた為、結果3位というのも実に最初からツキに見放されてる印象で、もしこれが同計上であればその週の一位「おどるポンポコリン」の売り上げを凌ぎ堂々の一位デビューという華やかな結果を残せたのに、実に不運である。
名曲「Replay」より「秘・美・子」を推して終了
楽曲的にも美空ひばり曲を大胆にアレンジという試みも裏目に出た感はあり、オリジナル勝負の4枚目で「秘美子」と「Replay」のどちらをA面推しにするかで迷った末にこれまでの和テイストを強調した「秘美子」を選択した時点で忍者の命運は尽きたと思われる。
たらればではあるが、「Replay」のさわやか路線に舵変更をしていればほんの少し歴史は変わったかもしれないと思ったり思わなかったり。
少年御三家からSMAPへ
男闘呼組の失速も早かった
一方、男闘呼組も忍者よりは知名度はあるものの、その失速具合は光GENJI以上の短命ぶりで、後にネタになる忍者よりもある意味不遇で印象の希薄なグループと言えなくもない。
男闘呼組も忍者同様にCDデビュー前の活動がわりと長く、鳴り物入りでデビューした光GENJIに横入りされた感が拭えない。
高橋のグレイな薬物疑惑で解散の運びとなるが(実際は白)、しばらくたってから成田がやらかすあたり現代のKAT-TUNに通ずる元祖ダーティーアイドルだ。
しかしTOKIOと同じ楽器グループということもあり、当時のジャニーズとしては王道ではないことから最初から自然消滅にさほど違和感はなかったが、忍者はアクロバティックなダンスと個性的な歌でブレイクの要素がありそうだっただけに、メンバー全員に華がなかったのと和風テイストがこの時代に全くミスマッチだったのが敗因だったとしか思えない。

光GENJIが残した功績
光GENJIは最初の飛鳥涼楽曲が神懸かっていた為、その後の曲が尻すぼみな印象だが、知られていない佳曲がたくさんある。
その点、SMAPは歌も踊りもダメだったが、早い時期からのバラエティ露出の方針が大当たりしたといえる。ジャニーズ初のマルチタレントの誕生だ。
それまでのジャニーズグループは三人組が主流だったので、光GENJIの七人編成には誰もが度肝を抜かれた。
ブサメンが混ざっても多い方がいいという図式がここから始まる。
むしろメンバーにブサメンは不可欠であり、その方がエースをより引き立たせられるという真実が見えてくる。
全員イケメンでは潰しあいになるだけだからだ。
一方SMAPの成功は個性の役割分担にある。
森脱退により五人になったのも数的にベストだ。

女性アイドルも氷河期世代は不遇で不作!
一方女性アイドルの老舗ホリプロでは「田中陽子」という問題児がたった一年の活動で自ら引退していった。
ふてくされた深田恭子とオカメを足して二で割ったような顔で、どうみても不細工で本人もやる気がなく、そこが面白かったが素行不良で続かなかった。曲は良かったんだけどね。
同期に早坂好恵や宍戸留美や増田未亜らがいるがいずれも泣かず飛ばずで実質この時期のピンアイドルのトップは高橋由美子だった。が、高橋でさえヒット曲は出せずじまいだ。
そんな中、宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさの3MがCM、ドラマ、モデルで活躍していたが、それまでの正統派なアイドル像とは少し違っていたので除外する。
フジテレビがおニャン子の二番煎じを狙った乙女塾もCoCoとribbonを輩出するが振るわずに終わり、三浦理恵子と永作博美だけがかろうじて現在も女優で生き残っている。

総括するとこの年代は一般的にも就職氷河期世代でもあり、なんとなく暗いマイナスジェネレーションと勝手に名づけてしまうのだが、野球選手とアート創作系はわりと頑張ってるのでよしとしよう。(なんちゅーマトメだ)