この年の夏休みは毎朝草野球して昼から市営プール行ってとにかく元気で快活な日々だった。毎日が楽しくて充実してたなぁ。
社会の流れとしてはグリコ森永事件が大きく報道され続けてました。
あとエリマキトカゲがこの年に限り大スターになってました。
1984年(昭和59年)
週刊少年ジャンプ
とにかく頭の中は週刊少年ジャンプ一色でした。
この年鳥山明はDr.スランプを夏に終えて、秋からたった三ヶ月のインターバルでドラゴンボールをスタートさせるわけですが、連載第一回を雑誌面で見てました。
まさかあんなに大きな展開になるとは当初は想像もできなかったですね。
でもこの年のジャンプは本当に充実してましたね。キン肉マン、キャプ翼、北斗の拳、奇面組、ブラックエンジェルス・・このジャンプ黄金期に一番リアルタイムでのめり込めた事がこの氷河期世代に生まれて数少ないよかったと思う事柄ですね。
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風の谷のナウシカ
風の谷のナウシカが劇場公開してヒットしましたが、僕は未だにこの映画が全く理解できません。
つまんないしヒロインにも全く魅力を感じないのですが、主題歌は聴く価値ありです。
安田成美の歌の下手さは西村知美といい勝負です。
いや、ほんとにひどい(笑)、せっかく曲はいいのに。
ビデオデッキが普及
この頃から家庭用ビデオデッキが普及され始めてきました。
テレビが録画して好きな時間に何度でも見れるなんて夢のように思いました。
でもうちにはまだもうしばらく普及しませんでしたw
1984年のファミコンカセット
あとファミコンね。
元祖マリオブラザーズの二人プレイが超楽しくてもう欲しくて欲しくてしょうがなかったですね。
毎晩親に泣いて頼んで翌年やっとの思いでファミコンを入手するわけですが。
あぁ、子供時代(笑)
ゼビウス
シューティングゲームの革命的記念碑作品。
ピコピコのBGMを細野晴臣が絶賛した。
巨大要塞の放つ黒ミサイルの所でいつもやられてたけど、いつしか先へ進めるようになった時に自身の成長を実感しましたw
ロードランナー
考えるパズルゲームとして当時のラインナップの中では群を抜いていた。
まさか敵が後にボンバーマンとなってメインを張ろうとは夢にも思いませんでしたw
マッピー
BGMが軽快で世界観も可愛くてひと際異彩を放ってました。
ゲームとしてもシンプルに良く出来てます。
ナッツアンドミルク
これも可愛くて好きだったな。
タイトルバックのBGMが特にお気に入りでした。
エキサイトバイク
当時はEDITモードのあるソフトがいくつかありましたね。
横スクロールのレーシングゲームってこれ以外あったっけ?
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1984年個人的邦楽ベスト10
1.そして僕は途方に暮れる 大沢誉志幸
2.恋人たちのペイヴメント THE ALFEE
3.涙のリクエスト チェッカーズ
4.Rock’n Rouge 松田聖子
5.愛・おぼえていますか 飯島真理
6.ふたりの愛ランド 石川優子とチャゲ
7.時間の国のアリス 松田聖子
8.ミス・ブランニュー・デイ サザンオールスターズ
9.風の谷のナウシカ 安田成美
10.瞳はダイアモンド 松田聖子
チェッカーズの人気がすごかったですね。
松田聖子の楽曲がハズレなしの良曲続きですごいと思います。
MVPは週刊少年ジャンプ(漫画雑誌)
あとメローイエローが大好きでした。
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