90年代回顧録

紅一点女性ボーカルバンドの崩壊と継続の形~90年代邦楽編

突然古い話でごめんなさい。

紅一点バンドって色々ありますけど(サザンオールスターズからSEKAINOOWARIまで)、今回はボーカルが女性でバックの楽器隊が男性というスタイルのバンドに限定させていただきます。

紅一点の女性ボーカルバンドって骨太なサウンドの中に華があって、ファンの男女比率もイイ感じに獲得できて、ヒトコトで言えば特に最初はイイトコ取りな印象なんだけど、続けていく内に男女間のモツレもあったりして、続けられなくなるものなんですけど(何故か女性が楽器担当だと問題ない)、色々と面白い共通点や相違点が見えてくるので、下世話なところまで掘り下げながら、90年代のバンド史を考察していきたいと思います。

尚レベッカは80年代、いきものがかりと東京事変は00年代なので対象外とさせて頂きます。

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紅一点女性ボーカルバンドの壊れゆく道筋

ジュディマリ(JUDY AND MARY)

93年デビュー、01年解散。

紅一点女性ボーカルバンドといってまず最初に思い浮かべるのはジュディマリであるというのが日本国民の総意であると断定してしまうのは数の暴力であるが、知名度と売り上げが断トツなのだから仕方がない。

再結成が実現されない理由

そして同時期に活動して同時期に解散したルナシーやイエローモンキー等が近年再結成して活動する中で、望まれながらもジュディマリだけが再結成に至らない理由は、絶対的な存在である替えの効かないボーカルが、ソロ活動で成功をおさめた既婚者の女であるからという事に他ならない。

バンドが再結成をする理由は結局あの頃が一番俺たち輝いてたよなという想いが一致するからであり、「あの頃」をいい思い出として認識しない人間にとっては再結成する理由はなく、金に困っていなければ尚更で、ましてや家族を持つ既婚女性が昔の元カレの居るバンドになんか遊びでも参加するわけにはいかないし、YUKIが首を縦に振らないのは当然なのである。

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バンドが崩壊するに足る理由の数々

ジュディマリほどあらゆるバンドの解散理由を全部内包していたバンドも珍しい。

この人間関係では継続できるはずがないのである。

まず絶頂期にボーカルとギターがいちゃいちゃつきあってたという状況が、年長の二人からすればシラケて面白くないし、後から加入してきた野心家の若いギターがプロデューサー(佐久間)に気に入られて、バンドの創設者であるリーダーのベースはイニシアチブを剥奪されて、さしづめヤドカリに家をのっとられた気分になっていた事であろう。

すっかりやる気を失くしてしまった恩田が我慢を重ねた末に脱退を申し出た頃にはYUKIとTAKUYAはすでに恋仲を解消しており、サイコパスのTAKUYAは気にせずとも恩田の抜けたバンドで恩田に引き上げられたYUKIが歌い続ける理由もすでにないため、最初から最後までやりたい音楽じゃなかったと言い切るドラムも含めてあっさり解散の運びとなった。

つまり悪いのはTAKUYAを甘やかして恩田を蔑ろにしたSAKUMAである

しかしもしYUKIとTAKUYAが結婚していたら恩田と五十嵐が抜けてもジュディマリは継続していたに違いない。

つまり結局は男女間の破局がバンドの崩壊を決定付けたと言える。

COMPLETE BEST ALBUM 「FRESH」

COMPLETE BEST ALBUM 「FRESH」

  • アーティスト:JUDY AND MARY
  • 発売日: 2006/02/08
  • メディア: CD

ブリリアントグリーン(the brilliant green)

97年デビューの3人組。現在は川瀬智子のソロプロジェクトのうちのひとつであるが実質随分前に消滅状態。

98年にシングルが大ヒット。02年に活動休止後は10年にアルバムを出しただけ。

03年に過半数の主要曲を書いていたベースの奥田とヴォーカルの川瀬が結婚する。

10年にギターの松井が一身上の都合で脱退。

初期の頃からすでに二人は交際関係にあったらしいので、バンド内結婚が理由で松井が脱退したとは言い切れないが、それならむしろ長く継続した印象だ。

仕事面でもイニシアチブを取られ、女まで取られたようで、ただなんとなくギターの人可哀想というだけである。

唯一の救いはパッと見のルックスはギターの方がイケメンというぐらいだ。

やはり共に曲と詩を書いて共同作業をしてる時間が長いと、それだけ仲も深まるというのは自然な現象なのかもしれない。

the brilliant green complete single collection’97-’08

the brilliant green complete single collection’97-’08

紅一点女性ボーカルバンドの稀有な継続例

パーソンズ(PERSONZ)

87年デビューで現役。

ボーカルのJILLがデビュー前に離婚したミュージシャンの元夫に刺されるという(男は殺人未遂で実刑判決)衝撃の過去を持ちながら、バブル期のバンドブームを牽引し、バンド絶頂期の90年にベースの渡辺とJILLが兼ねてからの交際の末に結婚。

92年にリーダーでギターの本田が脱退。(十年後に復帰)

こちらも本田の脱退はバンド内メンバー同士の結婚によるところが大きいのではなかったかと推測される。

ただ年長で貫禄抜群のJILLをギターとベースが取り合っていたとは思えない為、同じバンドに夫婦二人が在籍している状態というのは仕事がしにくいのかもしれない。

アルバムの楽曲採用率も初期は本田の方が多かったのだが、年を重ねるごとに渡辺の曲が上回っていった経緯もあり、そこはジュディマリと共通する複雑な男同士のパワーバランスとジェラシーが成すジレンマに本田が耐えられなかったのかもしれない。

ジュディマリの場合はYUKIとTAKUYAが別れた後だったので恩田の脱退で空中分解となったが、パーソンズの場合は夫婦という牙城は崩せない為に本田が出て行く以外に道はないし、それを夫婦となった二人が引き止める事もできない。(ドラムは空気か?w)

十年後にたまたま布袋のサポートで大阪にいた渡辺が、氷室のサポートで同じく大阪にいた本田に連絡をとったことで、本田が古巣に復帰となったのは物事を割り切って考えられる年齢に達したからだろう。(でも氷室と布袋はいつまでも割り切れないらしいw)

BOOWY meets PERSONZ ~GIRLS,WILL BE GIRLS~

BOOWY meets PERSONZ ~GIRLS,WILL BE GIRLS~

  • アーティスト:PERSONZ
  • 発売日: 2009/10/28
  • メディア: CD

リンドバーグ(LINDBERG)

89年デビュー、02年解散、14年活動再開。

90年代前半にハイペースなリリースで人気を博したが、95年以降ジュディマリにファンをゴッソリ持っていかれて、陰りが見えた97年にリーダーでギターの平川とボーカルの渡瀬が結婚。

しかしこの結婚によりバンドの人間関係に歪な変化はいっさい表れず、それまでと同様に自然体で活動を継続した極めて稀有な例。

何故リンドバーグはバンド内結婚でもメンバー間に亀裂が生じなかったのか。

まず既にドラムとベースが既婚者で、最後に未婚だった二人が結ばれたという経緯が大きい。

それとギターの平川が地味でシャイな人であり、渡瀬もまた素朴でピュアな自然体だった事で特に結婚前も結婚後もいちゃついた様子は見せる事もなく、内部にも外部にも何ひとつとして仕事に悪影響を及ぼさずにクリーンなイメージを保ち続けた。

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またなによりリンドバーグのメンバー仲が比較的円満なのは楽曲採用率がほぼ三等分であるからというのが非常に解り易い。

これがもし過半数をギターの作曲で占めていたとしたら「お前等夫婦でやってろよ!」ということになるのは明白であるからだ。

ジュディマリやパーソンズと違いリンドバーグが紅一点バンドで結婚してもずっとオリジナルメンバーで脱退者を出さなかった理由は、楽曲採用率の公平さに尽きるという結論を証明するに至った。

LINDBERG スーパー・ベスト

LINDBERG スーパー・ベスト

おまけ番外編

ドリカム・globe・マイラバ・ELT

この4組はバンドではなくてユニットの部類なので除外対象ですが、ザッと順に見ていきますと、まずドリカムは初めからいっさい色恋沙汰がなさそうで安心して見れる理想的な男女の友情の姿形を押し出したグループで(あ、最初は3人組ね)、いつも笑顔のおじさんとイケメンのゲイと色気ゼロのブスという組み合わせが永遠の仲良しを体現していて、万人受けしたのも頷けます。

途中ゲイが薬で退場してしまった為に(マッキーぢゃないよ!)二人組になってしまったのは、音楽的には問題なくともビジュアルバランスとしてはかなりの痛手となりましたが、今でも変わらず3人が友好な関係であるというのが何より素敵ですね。

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次にglobeとMY LITTLE LOVERですが、この2組は言わずと知れた二人のTKがプロデュースでデビュー直後に自ら加入して、しばらくしてグループの女性ヴォーカルと結婚してしまうという点まで同じなわけですが(小林AKKOは後に離婚)、どちらも気になるのは3人目の立ち位置で、マークパンサーはキャラクターも相まって悲壮感やら哀愁は微塵もないのですが、マイラバのギターはひたすら影が薄いまま気の毒な感じで気付いたらいなくなってたという、なんとも切なく、居場所がなかったんだろうなぁと同情されてしまいがちですが、印象としてコバタケのパワハラ且つ独裁的なイメージが強固となりました。

あいつミスチルメンバーにも絶対偉そうに指図してたはずだ。当たり前かもしれないけどw

逆にEvery Little Thingはキーパーソンの五十嵐が早い段階でメンバーから外れたのが意外でしたが、結果的にはこれによって長い活動が実現できましたね。

いままで全部作詞曲してたメンバーが売れてる最中になんの脈略もなく突然脱退して裏方にまわってしまうのって他にはない事例かと思います。(音楽の幅的には絶妙な判断)

そしてやはり人柄だけが取り柄のような温和で優しそうないっくん(ギター)だからこそ、男女二人ユニットでも絶対に間違いが起きなさそうで、逆に二人がくっついたら普通に祝福されそうな所まで昇華した頃にそれぞれ結構な年下と結婚済みですが、持田にとっては最高の引き立て役として伊藤はこれ以上ない相方であったというのは、もはや結果論にすぎませんけどね。

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フェアチャイルド(FAIR CHILD)

88年デビュー、93年解散。

最後にオチとして扱わせていただきますが、ご存知タレントのYOUが若い頃に在籍していたバンドでして、当時からその独特な声とエキゾチックでキュートなルックスとポップな音楽性で売れる要素はかなりあったのですが、まぁ売れませんでしたねw

バブル絶頂期とはいえ時代が追い付いてなかったです。

で、こちらの解散理由はYOU姐さん曰く「ギターがベースを殴って解散」とのことですが、だいぶ端折ってるとはいえどうやら本当みたいですw

このバンドはベースの戸田が企画として作ったもので、ほとんどの曲を戸田が作りリーダーとしても全権を握っており、音楽的にもギターはサポートでも構わないような状態だったので扱いが悪かったのか、ギターの人は腹に据えかねていたものもあったのでしょうね、きっと。

意外にもYOUを巡っての三角関係という色恋は全くなくて、男二人が単純に不仲だったというのが面白いですね。

元々それほど音楽活動にやる気のなかったYOUがタレントに転身して成功するわけですが、もしダウンタウンと共演していなかったらYOUの芸能界での立ち位置はモダチョキの濱田マリと同等クラスでしたでしょうね。
この辺紙一重なのもまた面白いです。

Singles

Singles

  • アーティスト:FAIRCHILD
  • 発売日: 1993/12/17
  • メディア: CD

まとめ

紅一点女性ボーカルバンドというのは一見華やかでファンを獲得する間口が広いのですが、バンド内で恋愛や結婚に発生するとメンバー間の友情度合いが試されて、あっという間に亀裂が生じてしまいます。

そして意外とバンドが壊れる決定的な理由はソレではなく、楽曲の採用率でギターとベースが揉めるということです。

なのでサザンやミスチルのような圧倒的カリスマによる独裁関係であれば問題はなく、またB’zのように完全に二人で詩曲を分担する事で不平不満はなくなります。

メンバー間の微妙な感情の摩擦はグループである限り尽きるはずがありませんが、大人だったらビジネスに徹するべきだし、我慢と収入が折り合わなければ脱退も止む無しなのでしょう。

ただやはりバンドというのは仲の良い男同士で組んだ方が楽しいですし、仲違いしても再結成できる可能性が高いのは事実です。

ガールズバンドだとそれぞれの人生が枝分かれして時が経つほど戻って来れません。

それぞれ個性の違う人間同士がひとつになって活動を継続させるって想像以上に大変だということですね。

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ABOUT ME
しぇす太
カーネギーメロン大学を志し、手塚賞を狙うも挫折してからは人生に絶望して、部屋の片隅でひざを抱えて過ごす今に至る。 HSPでマイノリティ思考でうだつは上がらない。 シングルファーザーなのに無職という珍しい肩書きを持つ。 座右の銘は人生暇つぶし。

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