実績と比較して過小評価されているミュージシャンは数多おり、それぞれ人によって思い入れ具合で異なるだろうが、私にとってのソレが爆風スランプである。
コミックバンドというイメージからは逸脱できず、質の高い曲をリリースしながらも、今一歩ブレイクから遠ざかっていった不遇の印象を受ける。
ポテンシャルはサザンや米米やユニコーン等と同列であったが、それらと比較すると明らかに世間的には格下扱いで、イマイチ納得いかないのである。
デビュー二年目に武道館ライブでバンドブーム牽引の先駆者
84年にデビューし、85年には武道館ライブを決行した。
当時ミュージシャンにとって武道館ライブはひとつの夢の頂きだったわけだが、早々にそれを叶えてしまったのが爆風スランプだ。
85年と言えば安全地帯やC-C-Bがテレビの音楽番組に出始めてお茶の間にバンドという形態を浸透させ始める過渡期であったが、爆風スランプはライブで動員を増やしていくBOOWY側のスタイルだったと言える。
爆風がデビュー二年にして人気を獲得できた理由は、85年4月から「サンプラザ中野のオールナイトニッポン」が金曜一部で放送されたことが大きいだろう。
当時のオールナイトニッポンの十代に対する影響力は大きく、中島みゆき、桑田佳祐、ビートたけしの並びにデビュー間もないサンプラザ中野という大抜擢はソニーの力なのか。
私はその頃小学生だったので中野のラジオは一度も聞いたことがないが、終始ふざけた放送の中で時には真面目に学生の相談に親身になってのるなど、当時の若者の心をグッと掴んだ模様で、サンプラザ中野がカリスマになりかけていたのも驚愕の事実なのである。
爆風スランプはRunnerの一発屋なのか?
世間的には「Runner」しか知られていないというか、思い出される事がないので、一発屋と認識されがちだが、以降の90年代にも「Runner」のセールスを越える50万枚前後のスマッシュヒットを2枚(「涙2」&「旅人よ」)出してるので、厳密には一発屋ではないと言い切れるだろう。
一発屋のようで一発屋ではないという点で「リンドバーグ」と似ている↓
ブレイク直前に脱退した江川ほーじんの不幸
バンドが売れ線を目指していくと明確な指標を掲げた時、ベースのほーじんがソレを断固拒絶して脱退した。
骨太なメンバーであると感心する。
それ故ルックス含め爆風初期のファンはほーじんのファンが多く一番人気だったりする。
ほーじん脱退後は有言実行で見事に売れた爆風であるが、その30年後に事故で意識不明の重体となってしまう事で再び江川ほーじんの名前を思い出すことになるとは‥。
新ベースの条件は顔!→バーべQ和佐田加入
当時「Runner」のヒットでテレビ番組に出ずっぱりだった爆風スランプ。
ベースの穴を代打によるゲストの友情出演で補っていたが、新メンバー募集の条件を「顔が二枚目である事!それだけ!」と明言していて笑った。
なんでもメンバー3人の顔が薄いアジアンフェイスなので、バタ臭い濃い顔求む!とのことで、結果その通りのバーべQ和佐田が加入した。
しかし先代のほーじんの存在感はとてつもなく大きく、いつまでたっても和佐田は後から加入した新規メンバーというイメージから脱せられなかった気がする。
爆風スランプは青春熱血路線で迷走したか
爆風スランプはサンプラザ中野によるユーモラスな歌詞が特徴的なコミックバンド的な立ち位置であったが、「Runner」のヒットによって青春熱血路線が求められてると勘違いしてしまい、かえって迷走してしまった印象を受ける。
だが実際にその後50万枚売った「涙2」と「旅人よ」はどちらも青春熱血ソングなので、やはり売るためにはその路線が間違いではなかったとも言える。
奇しくも同時期に90年代の荒波に飲み込まれていったバンド↓
爆風スランプのおすすめアルバム
しあわせ (2nd)
美人天国
この時代に先鋭的すぎる中野の作詞センスに脱帽!
美人って得だよなぁ~という羨望を見事作品に昇華。
大きな玉ねぎの下で
爆風スランプのバラード代表曲。
ペンフレンドから始まるフレーズに時代を感じさせるが、泣きメロディが秀逸で完璧。
青春りっしんべん
初めて女の子を自宅に呼んでエッチを企む男の情欲を歌にしたこれもひとつの青春ソング。
こうゆう歌って爆風スランプの真骨頂で、とてもよく出来てると感心する。
女の道
この時代にして、いやこの時代だからこそ唄えた歌。
現代で女の道は下り坂なんて公で言ったら社会的に抹殺されます。
ジャングル (4th)
星空ダイアモンド
爆風とは思えないストレートなラブソング。
絶対これシングルにするべきだったよなぁ。
夕焼け物語
同窓会と片想いをテーマに純愛をマジ歌唱。
ドラマのタイアップでも狙ってそうな程の売れ線。
映画通り
キャッチーなサウンドがカッコイイ。
中野の詩は常にディテールが明確で鮮やか。
恋はワンルーム
こちらも若い恋人たちの情欲がテーマ。
ポップな主線と織り成すベースラインがイイ!
愛がいそいでる
「大きな玉ねぎ」に匹敵する名バラード。
おふざけと大真面目のコントラストが爆風の魅力。
東の島にブタがいたVol.3
コミックソングと見せかけてまさかの反戦ロック。
最後の「王様一人でやりなさい!」って正論すぎる。
ベストアルバム(SINGLES)
いくつか出てますが下記の2枚組が後期まで網羅されていてバランス良いのでお勧めです。
爆風スランプと同列のライバルバンド達
聖飢魔Ⅱ
早稲田大学の先輩後輩。
爆風の前身バンド「スーパースランプ」を中野と河合がレコード会社にスカウトされたことで脱退し、メンバー間での軋轢を二代目ボーカルとなって見事丸く収めたのが聖飢魔Ⅱのデーモン小暮閣下なのであった。
聖飢魔Ⅱは爆風の一年遅れで同じくCBSソニーからデビューするが、翌86年に「蝋人形の館」がお茶の間でブレイクし、イロモノながら一気に注目を集め、早くからデーモンのタレント活動が先行するスタイルをとる形となる。
バックの演奏技術も高度で、デーモンの歌唱力と併せて本格的なメタルロックなサウンドが当時のJ-POP黎明期には馴染まず、知名度とは裏腹に楽曲はヒットしなかった。
デーモンもオールナイトニッポンを三年務め上げた事もあり、なにかと爆風スランプと被る共通項はファン層含めて必然的に多い。
筋肉少女帯
ボーカルがダミ声でがなる点が爆風と被る。
最初期に「高木ブー伝説」でいきなり注目を集めて以降楽曲のヒットに苦戦しながら深夜ラジオでボーカルがタレント化していく様まで聖飢魔Ⅱと被る。
爆風の方が売れた感はあるのだが、筋少はオオケンによるサブカル層を虜にした独特の世界観でコアな人気を維持し続けたのに対して、爆風のファン層はライト層が多く、90年代半ばにして売り上げ動員共に逆転した印象。
最終的にサンプラザ中野の鬱により爆風スランプの活動は停止したが、同じく90年代に大槻ケンヂも鬱を患う。
すかんち
メンバーに不幸が重なる点が似てるか。
すかんちもコミックバンドなノリでお茶の間にフィットしそうなポップさも兼ね備えていたが、イロモノ感が強すぎてキャッチーな楽曲もヒットには恵まれず。
最初期の「ダウンタウンのごっつええ感じ」のOPに「恋のマジックポーション」「恋のミラクルサマー」が採用され、爆風の中野&河合もユニコーンの民生&阿部と共に番組のワンポイントコーナーに度々出演した。
米米CLUB
米米が浪漫飛行で大ブレイクするまでの88年~89年頃は爆風と米米がコミックバンド2大巨頭だった。
米米クラブはバブルを象徴するようなお祭りノリが特徴的で、まさか大衆ポップス路線で大成功するなんて当時は数年後のスタイルも読めなかった。
カールスモーキー石井は映画製作で借金を負い、鬱を患う代償を支払う結果になってしまうが。
プリンセスプリンセス
89年(平成元年)バブル絶頂期、爆風とプリプリが音楽シーンの中心にいた!
爆風とプリプリは仲が良かったが、誰も恋仲に発展はせず、本当に男女の友情が成立していたという(笑)
89年初頭に「Runner」でブレイクした爆風に、「私たちも早く売れたい!」とぼやいていたプリプリのメンバーらであったが、その夏には「Diamonds」が年間1位となってあっさり爆風を抜き去ったという(笑)
レベッカ
同世代同期デビュー組として意識していたかは不明であるが、85年に「フレンズ」でブレイクして以降、レベッカのライバルはどちらかと言えばBOOWYやTM NETWORKであり、爆風がブレイクした88年の終わり頃にはレベッカは失速し始めていた。
ただレベッカは90年代を戦えなかったが、爆風はしぶとく生き残り駆け抜けた印象。
パッパラー河合は優れたプロデューサー
女王様
王様の人気にあやかって大ヒットの洋楽を直訳でカバーするという荒業で、爆風メンバーのソロ活動では一番成果を上げた。
その名の通りあの「QUEEN」であるが、世代的にもパッパラーはクィーンの影響をかなり受けたと思われる。
河合のポップセンスはフレディ仕込みということか。
ポケットビスケッツ
ウッチャン・ウド・千秋の3人組でテレビの企画ものでありながらセカンドシングル「Yellow Yellow Happy」がミリオンセールス(150万枚)を記録。
テレビの影響力を差し引いてもポケビの曲は良曲で、千秋の詩と歌唱力も素晴らしく、なによりパッパラー河合のポップなメロディセンスが光っていた。
YURIMARI
ASAYAN出身の十代の少女二人組デュオで、avexのゴリ押しも強くタイアップ付きで好待遇な発進であったが、当の二人にあまりやる気がなかったため、活動はすぐ終わってしまう。
個人的にはものすごく好きでして、アルバムも発売日に買ったなぁ。
パッパラー河合ここでもいい仕事しておりまして、サンプラザ中野と共同プロデュースなんですが、爆風スランプの活動最終年でもあったので、このままYURIMARIのプロデューサーとしてうまくシフトしていけるものだと思えたんですけど、続かなかったですね。
たった一年半の活動で、解散理由は「売れなかったから」らしいけど、アルバム1枚で見限るってどうなんでしょう。
おそらく二人がまだ子供でユニットでの目標が描けないままデビューしてしまっていたことで、精神がついていかなかったのでしょう。
PUFFYなんかよりも全然若くて可愛かったんだけどね、YURIMARI。
Perfume(ぱふゅ~む)
あのPerfumeが広島時代に「ぱふゅ~む」としてデビューした本当に最初の初期プロデュースがパッパラー河合であったことはあまり知られていない。
Perfumeが売れたのは中田ヤスタカのお陰だが、それ以前に桃井はるこやパッパラー河合が関わって少しずつグレードアップしていったという過去を、メンバー当人たちには忘れないでほしいところ。
爆風スランプは解散していない!
99年に活動停止して以降、爆風スランプとしての活動は行われておりませんが、解散したわけではないので、復活の可能性は今も残されてはおります。
ただ「スーパースランプ」として中野と河合が二人組での活動をしたりしているのと、レコード会社と契約していない状態であるため、新たに音楽を制作する気配はないので、爆風スランプの復活は可能性としてかなり低いです。
20年以上何もないということは、もう今後もないに違いないでしょう。
爆風スランプの活動停止理由はサンプラザ中野の更年期障害によるものですが、バンドとしても限界だったとは思います。
ただ名曲がわりとあるので、たまに聴いてみることをオススメします。
ヒロト&マーシーとサンプラザ&パッパラー‥いったいどこで差が付いたのかw↓
爆風スランプデビュー40周年再集結&新曲も
なんとここへきて誰も予想も期待もしていなかったまさかの再集結&新曲もリリースしちゃうとの発表がありました!
活動休止後の2000年代からは実は一日限りなどの限定再集結は何度も行ってきていたので、今回のソレもこれまでの活動履歴を考えたらそれほどレアなものでもないのですが、新曲を出すというのがこれまでとは違う一番のニュースですかね。24年ぶりですからね。
コンセプトはIKIGAI(生きがい)で、尚且つ中国で活動しているファンキー末吉のバンドも合わさって日中友好もテーマとして掲げてるそう。
還暦を過ぎたメンバーたちであるが、元気な姿を見られるのは嬉しいことです。
爆風スランプの唯一無二な良さを世間に再発見されることを願います。
爆風はRunnerだけじゃない!
ファンキー末吉も才能あるよ!
キーマンはやはり江川ほーじんか