他人から被害を受けて苦しんで憎んで怒って‥でも謝られたから許すしかない。
本心では全然許せないのに、許さないと今度はこちらが悪者になる。
このようなモヤモヤを経験された方は多いと思います。
ではどうしたらいいか。
結論から言って許さなくて良いのです。
許せないという感情をもっと大切にしましょう。
許すことだけが正義じゃない
相手が謝ってきたら基本許すのが人としての道理だという風潮が蔓延しておりますが、事と場合によりけりですし、口頭で謝罪しただけで許されるレベルじゃない事だってありますし、加害者側がとりあえずスッキリしたくて謝るという部分もあるため、そう簡単に許していいはずがないのです。
とりあえず謝罪したという既成事実だけは許可するにしても、許すか許さないかは被害者側の気持ちに全面委ねられてるものなので、許されなかったからといって加害者側が逆恨みするのは筋違いであり、それほどのことをしてしまったんだと更に悔いて反省して時間をおいて何度か謝罪を試みるべきだし、そうやって誠心誠意時間をかけてはじめて被害者側の溜飲も下がるというものなのです。
謝れば終わりと考えてるナメた加害者が多すぎるのです。
受けた痛みは誤魔化さず忘れない
許してしまったらそれは今後受けた痛みを忘れようとする事にも繋がります。
痛みなんて忘れてしまった方が自分の為にも良いのかもしれませんが、それは自分の弱さを誤魔化すことに等しく、本当に自分は納得しているのかを改めて問うべきであり、相手を本当に許せるならば許せばいいが、本心ではモヤモヤしてる、本当はムカついてるというならば、自分の心に正直になって、今はまだ許す気にはなれないと表明すべきなのです。
謝ったら許すのが基本と教える教育に問題あり
これは本当によくない間違った理念のひとつなのですが、保育園幼稚園小学校で子供同士がケンカをすると先生は謝らせて仲直りという方向へ誘導します。
ひどい場合だと喧嘩両成敗と言って検証もせずに「どっちも悪い!」で済ます投げやりなクソ教師もおりました。
これだと加害者側はやったもん勝ちと学び増長するし、被害者側は抵抗や反撃の手段を奪われる形となり、被害を受けても声を出せなくなります。
許せないなら許さなくても良い
被害者側には許さないという選択肢と権限があるのです。
だから許せないという感情を大切にして、許さなくても良いのです。
その加害相手と今後も関係性を保ちたいと思うのならば許すしかなくなりますが、友達でもないし仲良くもしたくないというのであれば、許さなくて良いのです。
許してしまったら相手の心が楽になって解放された気持ちになるだけです。
相手に自分の受けた半分の痛みでも感じてほしかったらば、許さない事です。
許されない過ちはたくさん存在する
加害者側は謝れば大抵のことは許されるものと勘違いしています。
でも現実には許されない過ちはたくさん存在しています。
被害者の裁量に委ねられてるのですから、被害者側が許さなければ加害者側は永遠に罪の意識に苦しむという罰を受け続けなければならないのです、本来ならば。
でも加害者は例え許されなくても三日で自分の罪を忘れるものですから、許そうが許すまいが結果は同じなのかもしれません。
だとしたら余計に被害者側は許してはならないのです。
許されないからといって開き直るのも違う
許されないと知ると逆ギレする加害者も容易に想定できます。
でも逆ギレする時点で反省ゼロであることがそこでハッキリするわけですから、もう絶対に許すべきでないということになります。
許されなかったからといって逆ギレする輩というのは、所詮口だけの謝罪であり、何も罪と向き合っていないのは明白です。
本当に悪いと思っていたら、例え許されなくても、何度でも謝るだろうし、誠意を態度で示すものです。
まぁそんな奴は滅多にいないし、そうゆうメンタルの人は最初から加害者にもなりませんからね。
加害者は総じて贖罪の意識が希薄
贖罪とは何かを代償として捧げて、これを差し出す代わりに許してくださいと、許しを請う側が願い出る行為なわけですが、総じてこの意識が欠落してる加害者が多いです。
口だけの謝罪、もしくは良くて数千円の菓子折りで許されようとしております。
もっと罪と向き合って、まず被害者と同じくらいに加害者は苦しまなければならない。
尚早の謝罪はその苦しみをショートカットして問題を終わらせようとする卑劣さが透けて見えるのです。
許されるまでには時間がかかるということを肝に銘じるべきなのです。
それまでの間は執行猶予期間なのだから粛々とした態度を心掛けて然るべきなのです。
被害者の目の前で誰かと笑い合ったりなど言語道断というものなのです。
安易に許しては相手の為にもならない!
許せないなら許さないと意志表明しよう!
痛みを伴う罰がなければ加害者は改心しない