子を持つ親へ

体験格差と言うけれど‥インドアで何が悪い!

近年やたらと叫ばれている体験格差というワードだが、そうゆう所で貧富の差を露呈して何が面白いん?

ほっとけよって思うけど。

商業主義の資本主義社会だから、カネを使うスタイルが正義という価値観の押し付けでしかない。

金を使わない=貧乏という安易な図式で格差を浮き彫りにして社会を解った気になっているメディア。

それはそれとて昭和の頃に「他所は他所、うちはうち!」という言葉が最強に制圧していたけれど、いつしかこのマインドが葬り去られてる事に違和感を抱く。

みんなが平等に暮らせる社会を目指すのも大事だが、それぞれ各家庭にある事情は様々なわけで、画一的に休暇の過ごし方をテンプレで挙げ連ねるのはどうかと思う。

普段の生活様式含め、家族構成によって違って当然であるのだから。

「体験格差」という言葉で各家庭を測るのは非常に無粋で下品で無神経な差別ではないか。

体験格差と言うけれど‥

習いごとの有無

よく言われるのが「子供に習い事したいって言われたらさせてあげられるのか」だが、まず9割がた子供の習い事は親が勝手に申し込んで始めさせて誘導しているのが現実です。

子供本人は家でゲームして遊んでいたいのです。

習い事なんて行きたくはないのです。

自ら習い事に行きたいと言う子供はかなり稀でしょう。

その現実を見てみぬ振りして「子供に習い事をさせられない親は経済力がうんちゃらかんちゃら‥」と言うのはてんで的を射ていないのです。

なんとなく習い事をさせてあげることが親のステータスであり、子供にとって絶対に良い事であると妄信しているにすぎません。

子供からしたら迷惑千万な話です。

子供に習い事をさせるのはズバリ親の見栄です。

平日放課後の部活動

部活動(クラブ活動)も地味に費用がかかります。

だから貧困家庭は放課後の部活動も子供にさせられないとか言われてますが、どうなんでしょうか?

更に親の協力(観戦)も必須になるので、余裕がないと確かにさせられません。

ですが子供がやりたいと言えばさせてあげるのが親心ではありますが、子供が全くしたいと言わなければ無理強いさせる必要もないでしょう。

これらも習い事同様に親が勧めてるパターンが多く、子供本人は放課後はゆっくりオンラインゲームでもして遊んでいたいものなのです。

そうさせないため(家に早く帰らせないため)に親が部活動を推奨しているのが真相なんです!

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旅行やアウトドアでの体験

長い休暇に旅行に出掛けるかどうかは各家庭の経済力がもろに浮き彫りになります。

尚且つ家庭が円満でなければなりませんし、旅行できる家庭は確かに上級と言えます。

旅行はできなくても近場でも家族で日帰りでお出掛けするだけでも体裁は整います。

しかし貧困家庭はそれも出来ず子供に何も体験させてあげられないというわけですが、アウトドア推奨って経済回すための思索でしょ?インドアじゃあかんの??あかんのでしょう。

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休日に出掛けて散財する事が思い出作りなの?

どうやらそのような印象を受けます。

そもそも三連休にどこにも出掛けずに家に引き篭もってるなんてのはかなりの大罪と感じてる人が圧倒的多数でしょう。

もうこの意識は絶対的に刷り込まれていて、休みの日に一日中家に居るというのは怠け者のダメ人間の烙印を押されるわけです。

本来なら休みなのだから身体を休ませるべきはずなのに。

メディアも連休のお出掛けスポットを紹介して煽ります。

経済を回したい政府の息がかかってますからね。

だから最近の祝日は月曜日にまわして三連休にしてるんですよね。

国は国民に散財してほしいですからとにかくこうして煽るわけです。

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コロナ以前・コロナ以降での変化

それでもコロナ前までは月に一回は遠出してイベントに行くくらいはしないとと思って頑張って子供を外に連れておりました。

ですがコロナ禍になって価値観が一新されて、密を避けようという意識が強くなり、やはり人混みは悪だという価値観に自信を持つようになりました。

それにより、長期休暇であってもいっさいお出掛けなんてしなくてもいいと思うようになりました。

以前から子供は出掛ける度に「早く帰りたい」とぐずるタイプだったし、とにかく外に出るのは面倒くさいという根っからのインドア派で、さすがカエルの子はカエルなんだな、と。

だからもう無理して出掛けるのはやめることにしたのです。

外に出ても休める場所を探すばかりで、だったら最初から家に居ればいいじゃんという事に気付いたのです。

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どこで何をするかではなく、親子で何を話すかである

結局思い出というのは何処で何をしたかではなく、誰と何を話したかなんです。

親子の絆というのは何処かへ行って何かをしたから育まれるというものではなく、日頃から常に会話をしてるかどうかなんです。

家で肩を並べてテレビゲームするなんて最たるコミュニケーションでしょう。

別に旅行に出掛けなくても家族サービスは普段からできますし、子供が満足する形で楽しませられる方法はお金をかけなくてもいくらでもあるはずです。

安易にお出掛けで済ますよりも、子供ファーストに考えて何が一番楽しめるのかを熟考した上で提供する事こそが本当のサービスであり、愛情なんじゃないか。

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大人になって思い出す家族はリビング(食卓)にある

私も子供の頃は家族で頻繁に出掛けた記憶はありませんが、出掛けても大概両親がケンカするし、自分は乗り物酔いするしで楽しくはなかったです。

でも家族としての思い出は家の中で過ごした時間としていくらでもあります。

食卓でトランプしたことや、リビングでそろって映画を観たこと、など。

外に出掛けた思い出よりも、家の中で語らった記憶の方が鮮明ですし、家族を感じられます。

何処かに行って何かをするというのは向き合う事から逃げた誤魔化しです。

何もないリビング(食卓)で、面と向かって会話をすることのが重要です。

生まれ変わりってあるんだろうか?

産まれる前は魂は何処に居て何をしていたのか?

父とはそうゆう話を延々していた気がします。

だから私も息子とは毎日たくさんお喋りしています。

家の中は親子だけの宇宙だからです。

まとめ

体験格差よりもコミュニケーション

何をさせるかではなく、何をしたいか

お金をかけなくても思い出は作れる

ABOUT ME
しぇす太
カーネギーメロン大学を志し、手塚賞を狙うも挫折してからは人生に絶望して、部屋の片隅でひざを抱えて過ごす今に至る。 HSPでマイノリティ思考でうだつは上がらない。 シングルファーザーなのに無職という珍しい肩書きを持つ。 座右の銘は人生暇つぶし。

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