みんな自分がいつか死ぬという事実から目を背けながら日々を誤魔化して生きている事と思います。
実際に親や友人が亡くなる経験をしても尚、自分が死ぬ時の事はイメージの彼方です。
いつかは間違いなく自分自身も死ぬ。
断捨離や終活は70過ぎてからやるんじゃなく、早いほど良い。
この世界と永遠にさよならするちょっと先の未来について真剣に考えよう。
成功者や幸福な人ほど死が怖い
まず当然ですが、この世に大事なものがいっぱいある充実した人生を送ってる人ほど生に対して執着もあるわけで、死ぬのが怖いし考えたくもないはずです。
成功者や幸福な人ほど永く生きることを願うし、死の恐怖に震えます。
逆に言えば失敗続きで辛酸舐めまくりの悲惨な人生を送ってる人なら、死は開放であり安らぎかもしれません。
つまり人生の最期に心理的に逆転するんです、勝ち組と負け組が。
「死にたくない死にたくない」とジタバタ抗う勝者と、悟りの境地で極楽浄土を夢見る敗者。
幸福な者は未練を残し、不幸せな者は跡を濁さず成仏するのです。
財産を残しても意味がない
金持ちになることを目標にして頑張って働いてある程度の財を成した人も、最終的にはそのお金は自分が使い切る事など出来るはずもなく、家族の手に渡ります。
それで問題ないと考える善人が9割以上でしょうから、それでいいのでしょう。
ただそう考えると老後の貯蓄ってあんまり意味がないなとも思えてきますけどね。
お金はあの世へ持っていけない
お金だけじゃなく、趣味で収集したお宝など、記憶も含めて全部あの世に持っていく事は出来ないわけで、最終的には人は手ぶらで三途の河を渡るのです。
お金を持って閻魔様にワイロを渡すという事も出来ないのです。
死の間際になって気付く事でしょう。
あぁ、お金のために心身を擦り減らして仕事を中心に生きてきたのは間違いであったと。
人生が苦しかった人は逆に楽になれる
一方で不幸続きで運に見放された人生を送ってきた夢も希望もない孤独な単身者は、もはやこの世に未練も何もないので、「やっと死ねる‥」と安らかな顔で逝けるでしょう。
家族を心配する必要もなければ、価値のある遺産もない。
綺麗に消え去るイメージで苦行のような人生からおさらばできるのです。
死とは自分の世界の消滅
自分が死んでも地球は廻ります。
自分の世界は終了するけれど、他の人は以降も通常営業です。
つまりは死とは自分だけが世界から切り離される感覚なのです。
これはとても恐ろしいのだけど、永遠に目覚めることのない睡眠みたいなものです。
永眠と言うくらいですからね。
ただし夢も見ないので、おそらく真っ暗闇で、その暗闇すら感じ取る事も出来ないという不可思議な現象に飲み込まれるのです。
最終的に人は孤独
だから例え愛する家族に看取られながら逝くとしても、人は独りで死んでゆくという認識が正しいのです。
生前多くの友人に囲まれて過ごしてきたとしても、最終的には孤独死なのです。
愛し愛されて幸せな人生を満喫したとしても、最終的には孤独死なのです。
産まれてくるときは助産師さんと母親が迎え入れて抱えてくれますが、あの世では誰も待っていませんし、始まりも終わりもない世界(?)があるだけです。
人生の終わりは誰しもに平等に訪れます。
ビビっても無駄なので、開き直って生きるしかありませんね。