悪いことをしたら謝るということは誰もが幼少期に学習したはずです。
ですが年齢を重ねるほどにその当たり前の行為ができなくなってきます。
メンツだったりプライドだったりが邪魔をして、素直になれないのです。
だからこそ頭を下げただけで礼を尽くしたことになりがちなのです。
でも果たして本当にそれで収束していいのでしょうか?
謝ったらそれで終わりなの?違うよね?
謝れば済むと思ってる奴
その時だけ謝ればいいという口だけ謝罪見え見えなんですよ。
頭を丸めて反省の意を示すとかそうゆうの大嫌いです。
それはてめえが決めた価値感であり、謝罪される側はそんな事求めちゃいないのだから。
まずは「どうすれば許してもらえるでしょうか?出来る事はなんでもします」と言うのが正しい謝罪だと思います。これは全てにおいて。
そこで謝られた側が「頭を丸めろ」と言えばそこで初めて坊主にすればいいわけだし、「切腹しなきゃ許さない」と言えば、本当に許して欲しければ切腹するべきだし、それはさすがに出来ないと思えばそこで初めて土下座しながら号泣して許しを乞えばいいのだと思います。
DQNの場合
僕が見てきた典型的DQNの印象はどれも共通する部分がありまして、どいつもこいつも劣性に追い込まれると途端に仔猫のようにシュンとして身を守ろうとします。
いままでの横暴な態度はどこへやらです。
その変わり身、恥ずかしくないのかと。
強がる事にかけては誰にも負けないのがDQNの唯一の武器なのだから、最後まで強がって殺される直前でも命乞いなどしてはならないと思います。
そうでなきゃ筋が通らないというものです。
恋人同士の場合
恋愛のもつれに置き換えます。
ふる女「ごめんなさい、別れて」ふられる男「絶対イヤだ!」
ふる女「別れたいの!」ふられる男「じゃあ最後にフェラして」
ふる女「するわけねーだろ!」ふられる男「交渉決裂!!」
となるのです。
つまりこの場合女はそれくらいの条件をのんで然るべきなのです。
自分の都合で切り出した話なのだから、相手の要望を出来る限り聞き入れなければならないはずです。
そうでなければ一方的な自己都合&口だけ謝罪ということで、自分は何も代償を払わないでわがままを遂行しようということになります。
犯罪被害者加害者の場合
犯罪について置き換えます。
加害者「殺してしまってごめんなさい」被害者「お前も今すぐ死ね」
加害者「死にたくはありません」被害者「じゃあお前に何が出来る?」
加害者「生きて罪を償いたいと思います」被害者「そんな事は望まない」
この場合においても加害者は本当に心からの謝罪の意志があるのならば、その場で自害すべきであるのです。
つまり「なんでもするから許してくれ」と言って、そのとおりなんでもしないのならば、本心からの謝罪と受け取る事は出来ないというものです。
死刑制度・存続すべき理由
どんな身勝手な殺人や非人道的な虐殺をしても、極刑の死刑は首吊り台からストンと落ちてほとんど苦しまずに死んで終わりなんて納得いかないです。
自暴自棄になって自殺願望のある凶悪な精神の持ち主は、自分の命がゴミくず同様だと解った上で他人を巻き添えにするのだから非常に危険な環境にあると思う。
たまに思うんだけど電車に乗ってて隣の人が急に狂って自分を殺しにかかってきたらどうしよう・・とか、逆もまた然り。
世の中は至極無防備です。
故に罰則はかなり厳しく設定しておかないと確信犯が出まくりです。
死にたいけど自殺は怖いから死刑にしてもえばいいと思って殺人を犯す輩があとを絶ちません。
でもものすごい拷問刑が用意されてると知ったら自殺のほうがマシだと思うはずでしょう。
ここすごく重要なのにあんまし語られないのがすごく歯痒いです。
仇討ちor拷問刑
あと江戸時代以前のように仇討ち制度を復活させるべきです。
理由は拷問刑がないからです。
僕がもし自分の子供が他人に殺されたら、絶対自分の手で犯人を葬りたいと思います。
司法などに任せていたら犯人は一生保護されてしまって終わりですから。
人権というものは生きてる人にのみあるもので、死んでしまった被害者にはないものだそうなので、故に被害者は未成年でも名指しであるのに対し、加害者は未成年だと伏せられるのです。
人の命を奪った者に人権はあるのか否か。
まずここも議論すべきでしょう。
もちろんいろんな事件や事故があるので一概にこうだと決められやしないですけど、とりあえず明らかに欲望先行型であったり、身勝手で情状酌量の余地のない者に人権など与えてはならないと思います。
本当は誰も争わない平和な世の中が理想なのはもちろんですが、あいにくバカで最低なクズというのは意外と多く存在するので、少しでも抑止するためにも拷問刑と仇討ち制度の正式採用を激しく希望致します。
https://nomore-suicide.com/gross-world
謝罪は償いの始まり
つまりそのほとんどの謝罪は形式ありきの口先だけのものであるため、相手が頭を下げたくらいで聞き入れる程ヤラレタ側は甘くあってはならないのです。
「本当にすまないという気持ちで胸がいっぱいならどこであれ土下座ができる たとえそれが肉焦がし骨焼く鉄板の上でも・・・」 カイジより
謝らなければならないような事をしでしかした者を、簡単に許してはならないのです。
本当に許されたいのなら、時間をかけて誠意を尽くす以外にはないのです。
そして謝罪はその償いの最初の第一歩なのです。
それで終わりではなくて、そこから始まるのです。