悩める大人へ

親の死と悲しみを乗り越える方法と考え方について

ニュースで毎日何処かで見知らぬ他人が事故や事件で、死んだり殺されたりしてるのを知らされますが、自分とまったく関係ない世界というか、いまいちピンとこないものです。

結局自分の身の回りの人間が今、健康に生きてれば安心安定の日々を送れるというものです。

が、自分の大事な家族の中の誰かが死神の鎌に触れる日がいつか訪れるというのも、目を背けられない事実でもあります。

その時、我々は普段考えもしなかった「人の死」という逃れられないリアルと、否が応でも向き合う事となるのです。

現在うちの父親がリアルで昏睡状態です

一週間前に私の父が緊急搬送されて、心肺停止からの蘇生措置で一命はとりとめたのですが、依然昏睡状態の意識不明でたくさんの管に繋がれた植物状態です。

丁度一年前にも同じようなことがあり、一年前はすぐに回復して退院したのですが、さすがに今回は二度目だし、絶望的な状況であると覚悟しています

後悔と悲しみで胸が詰まる

もう5年前から父は闘病生活を続けていて、がんも進行していてむしろ粘り強い生命力に驚かされていたのですが、いざこのような状況になると、なんでもっと積極的に会ってコミュニケーションをとらなかったのだろうという後悔が募ります。

一年前に医師に「余命はどのくらいですか?」って訊いたんですよ。

そしたら「安定してれば生きれるし、何か起これば死に直結するし、それは判らない」って言うもんだから、饒舌に喋る父の姿を見るともう大丈夫だって思ってしまったんですね。

でもあの時医師から「余命は一年くらいじゃないか」と告げられていれば、もうちょっと頻繁に会う努力をしたと思うのです。

でもよく考えたら家も近いのだしせめて毎月顔を合わすべきだったのに、コロナ禍というのもあってなんか億劫になってしまって、連絡すら何ヶ月もとらなかったんです。

無意識に避けていたんだと思います、僕の方が

思うように活動できないQOLの低下した状態に苛立ちを隠せない父と向き合うことは、あまり楽しくないし自分も落ち込んでしまうので、あまりその姿を見たくなかったのです。

でも、もうあと数ヶ月で死んでしまうかもしれないってハッキリ判っていれば、いろんな話もできたし、優しく労わってあげられたかもしれない

よく考えたらそろそろ危ないって解っていたはずなのに、なんだかんだまだ大丈夫だろって都合よく楽観的に油断しすぎていたひと月前の愚鈍な自分をぶん殴りたい

嫌な部分を思い出して感情を鎮める

いつでも会えると思っていた人と、もう二度と会えない。

いつでも通話できると思っていた人と、もう二度と電話で話せない。

この前まで当たり前に生存していた人が、魂が抜けて急に居なくなる空虚さ

かなりキツイです。

もっと会っておけばよかった。

もっと連絡して気にかけるべきだった。

現実から目を背けて放置して、今更後悔したってもう遅い。

後悔にさいなまれて、胸が詰まって苦しくなる。

でもそんな時にはどうしたらいいのか、方法を思いついたんだ。

それは、父の嫌だった部分を思い出す事で、感情を鎮めるという策だ。

これは意外と効果があって、途端に込み上げてくる涙も漫画みたいに引っ込んでしまうからマジおすすめ。

どうしても逝く人は美化してしまいがちだから、悲しくならない為に、あえて嫌いだった瞬間を思い出すことで、感情をクールダウンさせることができるんだ。

勝手に産みやがって!産んでくれてありがとうとは思えないこれ十代の思春期の戯言じゃないですよ? こじらせ中年になって尚、このように本気で思うわけです。 この世にはキレイごとがわんさ...

親や大事な人の死は悲痛だけどそれが人生

誰もがいつか必ず体験する逃れられない人生のアクシデントポイントのひとつが親の死だろう。

それはほとんどの場合が突然であり、例え想定できていてもショックは大きいものだ。

子供の世話と生活でやり過ごす日常

もし僕に子供が居なかったら、家族とは今も自分が子供の頃の家族構成となるので、例え一緒に住んでいなくても、父が死ねば一家の大黒柱を失ったような喪失感を抱くだろう。

でも現在僕は自分の息子と一緒に暮らしている。

だから僕の家族はもう昔の家族ではない。

だから幾分やり過ごせる。

こんな状況でも、毎日息子を起こして登校させて出迎えて夕飯を準備して風呂に入れて寝かしつけるというルーティンは変わらないのだから。

そのおかげで一瞬悲しみを忘れることができるからなんとかなっている。

もし僕がひとり暮らしだったら、一日中悲しみを反芻しているかもしれないから。

子供が居てよかったって心底思えるのは、親が亡くなった時なのかもしれない。

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自分が死んだとき遺族にはどうあってほしいか考えるのがその答え

逆に今父は何を思っているか想像してみることにする。

もちろん遺族がいつまでも悲しみに暮れる事は望んでいないはずだ。

だからといってすぐに気持ちを切り替えて考えないようにするというのも違う気がする。

僕が死んだとき、息子にはどうあってほしいか。

とりあえずは、泣いてほしいかな。

そして、一日に一回でいいから、想いを馳せてほしいかな。

あとは、生活に支障をきたさないように、元気で健康に生きてほしいかな。

孫がいたなら、その息子の子供に全力で愛情を注いで日々を紡いでほしいと願うだろう。

きっとそれだけだろう。

だから、僕もそうしようと思う。

49日を迎える頃には、心の整理がつけれるように。

ってまだ正式には死んでいないんだけどw

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まとめ

親の死は辛いけど命の順番です

それでも笑う事ができるのが人間

悲しむだけが供養じゃない

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