80年代回顧録

1989年お笑い第三世代が躍進!空前のバンドブーム到来!

1989年(平成元年)

とうとう昭和から平成に変わるわけですが、これって結構事件ですよね。

まずなんといっても消費税執行。

これまでキリのいい定価で買えた物が全て3%付加されて一円がものすごく活躍することになります。それまで一円って必要ないじゃんみたいな存在だったのに!!

手塚治虫と美空ひばりが死去。漫画界の神と歌の女王が共に亡くなり昭和の終わりを告げる。

芸能では中森明菜がマッチの家で自殺未遂。

バラエティ界はとんねるずの天下。

個人的には田代まさしの番組がどれも面白くてお笑いに興味を持ち始め、「夢で逢えたら」で爆笑し、「ダウンタウンのガキの使い」を開始直後から見始める。

野球はパリーグで近鉄が混戦を制し日本シリーズで巨人に大逆転負けと非常に面白いシーズンで、今思えばこの年がプロ野球のピークだった気がする。

1989年個人的邦楽ベスト10

1.GLORIA ZIGGY
2.RUNNING TO HORIZON 小室哲哉
3.Endless Rain X
4.Return to my self 浜田麻里
5.Diamonds  プリンセスプリンセス
6.太陽がいっぱい 光GENJI
7.Dream Rush  宮沢りえ
8.DEAR FRIENDS PERSONZ
9.大迷惑  UNICORN
10.BE MY BABY  COMPLEX

フジの月9ドラマ主題歌でブレイクしたZIGGY。

アルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューしたX。

布袋と吉川が組んだ衝撃ユニットCOMPLEX。

平成に入り一気にバンドの勢力が拡大していきます。

ヒットチャート的にはWINKと工藤静香が強かったですが、アイドル=オワコンの兆しを感じ始めます。

松田聖子の連続一位記録を小室哲哉が阻んだことでそれは如実に表面化されました。

バンドブームの頂点はジュンスカ

ホコ天でブレイクしたJUN SKY WALKER(S)ことジュンスカの人気っぷりはバンド界隈の光GENJIみたいな瞬間最大風速を感じました。

ストレートな歌詞と単純明快なサウンドとさわやかなルックス。

当時中坊だった僕にも和弥の詩が痛烈に入ってきました。

最初のインディーズミニアルバム「J(S)W」の中に「SUICIDE DAY」という曲があって、ん?スイチデ?なんだ?と解らず英辞書で調べたのも思春期っぽい思い出ですw

中学の卒業アルバムの年表に「1989年 ジュンスカイウォーカーズが若者の間で大人気」と記されてましたw

1989年お笑い第三世代が躍進!

土曜の夜は、ねるとん→夢逢え

ねるとんは87年から人気ありましたけど、23時がねるとんで、23時半から夢逢えが始まりまして、ねるとん繋がりでそのまま見てたらショートコントがすごく面白くて、特に南原がガソリンまいて大惨事になるやつ(毎回これ終わりにCMへいく)とダウンタウンの浪速の浴衣兄弟(浜田の決まり文句)が好きでした。

ダウンタウンは春からいいともレギュラー、秋から「ガキ使」開始と、東京進出大成功の年でした。

ポストとんねるずとして飛ぶ鳥を落とす勢いだったウッチャンナンチャンと「夢で逢えたら」で共演したことがダウンタウンにとってブレイクのきっかけとなったのは間違いないと思います。

最初はみんなウッチャンナンチャン目当てで番組を見始めるんだけど、気付いたらダウンタウンで笑ってることが多くて、「あれ!?」ってなるんですよねw

第三世代の人気の時系列は86年~89年がとんねるず、90年~91年がウッチャンナンチャン、92年以降がダウンタウンといった感じですかね。

パラダイスGoGo!!とB21スペシャル

夕やけニャンニャン旋風をもう一度!ということで、夕方帯の生放送番組が田代まさし司会でスタート。

「夕ニャン」はひとつ上の世代のもので、氷河期世代にとってはこちらがドンピシャだったんだけど、なんか全然盛り上がらずに認知度も低いままでしたね。

理由は単純に乙女塾のメンツがブスばかりだったからです!

Cocoで5人選抜するよりも、おニャン子同様に乙女塾としてデビューした方が良かったと思いますね。

女優として生存したのは永作と三浦ですが、確かにこの二人がマシでしたねw

それよりもアナ二年目の河野景子が一番美人で目立ってたのもどうなんでしょうw

レギュラーで出演してたB21SPECIALはオールナイトフジもやっててこちらもこの年に完全ブレイクの印象で、深夜にはウッチャンナンチャンとコント番組、秋からはゴールデンでダウンタウンと共演するなど、絶好調でした。

さすが新宿ホスト上がりだけあって三人とも容姿に華があって、しかも面白くてキレキレでした。

土曜の昼は「田代まさしのオイシイじゃん」日曜の昼は「やる気まんまん日曜日」と、田代まさし司会のバラエティ番組にB21がセットで起用されてましたね。

ヒロミにとっての恩師・先輩はマーシーであることは間違いないはずですが、ヒロミがマーシーを語ることは全くないのはしょうがないけど寂しいですね。

「ONE OR EIGHT」の花火事故がなければB21が解散しないルートもあったわけで、あの事故によってデビットとちんの未来が大きく変わってしまったことも残念でした。

でもあの事故の被害者がヒロミでなくてデビちんのどちらかだったら、ヒロミが叩かれて、もしかしたらその後のヒロミの活躍はなかったかもしれないとも思えるのです。

MVPは「夢で逢えたら」

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