いじめられたら

聲の形に見るいじめ考察とその内容について【京アニ映画】

2016年公開の京都アニメーション制作によるアニメ映画「聲の形」。

少年マガジン漫画原作(単行本全7巻)ものであるが、そちらは読んでいないので、ここでは映画を見た印象を記す。

小学生時代に転入生の聴覚障碍女子をいじめてしまった加害男子生徒が、中学生になっていじめ被害者側になった事で心を閉ざすもそれを当然の報いとして受け入れ、やがて彼女に対して償いを始める贖罪の物語。

エグイいじめ描写とリアルなキャラ配置

この作品のテーマは主人公の心の成長ドラマであるが、刺激的な「いじめ」と「自殺未遂」の描写により、視聴者側の心が締め付けられる内容となっている。

特に序盤のいじめが丁寧に描かれており、クラスメートのリアルなキャラ設定配置も相まって、胸糞の悪いいじめの実態とその加害児童の心理描写にスポットをあてて主眼においている所が類似のいじめ題材作品とは異なる点か。

映画『聲の形』:文部科学省

聴覚障害女児の付けている補聴器を無理やり取り上げて投げ捨てる行為など、あってはならない犯罪行為であるが、学校内では全て子供内のいじめで処理されるのが現実だ。

まず分別のついた大人の目線で見ると、もういじめの理由が全く理解不能である。

障害を持つ子に対して優しく接するのが当然かと思うが、子供の世界ではいじめの格好の的となるようだ。

だからやはり障害児が普通学級に通うのは今も現実的な選択ではないのかもしれない。

子供とは残酷で、集団の数が多い程、その民度は下がるというものだ。

それでも主犯加害児童である主人公の母親がマトモな人であったのが救いだ。

母親は子供の軽率且つ悪質な器物破損行為に対する弁償を女児の母に支払い謝罪する。

その姿を見た主人公の加害男児はそこではじめて己の愚かさと悪行の対価に気付く。

ここは非常に重要な部分で、もしこの母親がただのDQNで踏み倒すような人間だったなら、息子は改心しなかっただろう。

だが現実ではいじめっ子の親は保身に徹して謝罪すらしないというケースのが圧倒的に多い。

つまりここが現実と物語の分かれ道でもあり、創作フィクションの限界でもある。

再会からの展開は怒濤のファンタジー

シングルマザーで気立ての良い母親に高額な弁償をさせてしまった事を気に留めていた主人公は、心を閉ざしつつも高校時代はバイトに明け暮れ、その賠償額を母親に返済してから自殺しようと決意する。

しかしその思惑を母親に見抜かれ諭されて自殺は断念し、6年ぶりに聴覚障害女子の元へと訪れる。

まず小学生時代にいじめて転校して行った女子生徒を6年ぶりに訪ねるというのもリアルではないし、最初は阻まれるものの後々和解のための強力な味方となるヒロインの妹の存在もご都合主義だし、なんといっても聴覚障害のヒロインが超絶美少女という点がなによりの創作ファンタジーなのである。

映画『聲の形』 TVCM 2 - YouTube

だが作中では主人公はあくまで罪滅ぼしの意識が強く、下心などは持ち合わせていないが、逆にひどい事をされた聴覚障害のヒロイン側が、元いじめ加害者である主人公を好きになるという怒濤の展開に、もはやリアリティはゼロに失墜する。

これも現実に照合すれば、まず加害者側が被害者を6年ぶりにわざわざ訪ねるというのがありえないし、それをすんなり受け入れる被害者というのもありえない。

 

そしてなにより聴覚障害でいじめを受けた女子のルックスが超可愛いというのが極めてアンリアルだが、漫画(アニメ)なんだからしょうがないとはいえ、もうちょっと地味な容姿にできなかったのか。いや、すごい好きなんですけどね、硝子ちゃんのデザイン。

これによりどうしても主人公が何度も何度も彼女に会いに通い続ける理由が少しだけ不純なように思えてしまうし、もし彼女がデブスでも何度も足を運んだろうか?と考えたらやっぱり違うんじゃないかって無粋な視聴者側は思ってしまうわけなんですよ。

その彼女の妹がまた芯が通っててイイ奴な所にもだいぶ救われるし、親友も出来て途端にヌルゲーになっていくのですが、彼女の母親の主人公に対する厳しい態度だけがなんとか現実味を留めさせており、この作品は双方の母親のキャラ描写がすごくいいなと思いました。

植野と川井、許せないのはどっち?

作中小学生時代に聴覚障害女児をいじめていたのは主人公だけではありません。

女子生徒の主犯植野と、その取り巻きの川井もいじめに加担していたが、その罪は全て主人公に押し付けられた。

ネット上では「川井さんだけは許せない」という声が大きく、SNSでは「川井を許すな」というタグがトレンド入りするほどの炎上キャラとなったが、個人的には圧倒的に植野さんが一番許せないし、小一時間正座させて根本から理論的に説教したいとまで思いましたね。

映画『聲(こえ)の形』初公開シーン満載のPV解禁 | アニメイトタイムズ

川井は傍観者なんだけど保身に長けており、尚且つ噂好きで無意識に周囲を焚きつける習性もあり、目立たないんだけど悪いという非常にリアルな女子力の高いキャラ。

一方植野はわかりやすい女ジャイアンであり、主人公への密かな恋心も相まって再会後も嫉妬心から硝子に対してキツク当たり、謎のいじめっ子理論で自身を正当化し、いじめられる方が悪い的な論調で硝子の存在を直接全否定する。

 

弱い硝子は謝り続ける事しかできないが、植野にとってはそれも怒りの拍車をかける要素となり、さんざん過去にいじめた硝子に対して尚もまた「あんたが嫌い!」と吐き捨てる。

これは一見ひどいのだが、障害とか抜きにして対相手と正面から向き合ってるという点が視聴者側からは評価されるらしく、直情的で暴力的な植野よりも、陰湿で同族嫌悪をもたらす川井の方が視聴者からは圧倒的に嫌われたようだ。

植野の理屈は間違いだらけで1ミリも共感できうる部分もなく、終始気分が悪かった。

私としてはこの作品を観終わった最初の感想は「植野、胸糞悪い」だ。

硝子が自殺未遂を決行した直接的な要因は観覧車内での植野の暴言によるところが大きいし、横断歩道で久しぶりに再会した硝子からまた補聴器を奪って意地悪く笑う姿には吐き気すら催した。

主人公はもっと植野を叱るべきじゃないかと見ていてフラストレーションがたまった。

そこへきて植野が硝子を制圧する場面を目撃した硝子の母親が駆け込んで植野をひっぱたくシーンには一瞬留飲が下がったが、すぐに反撃して殴り返し「マトモに育てられないなら子供を安易に産むな!」などと暴言を吐き散らかした植野に再び嫌悪感が増幅し、心底気持ち悪くなった。

まさしく植野の親の顔が見たいと思った。

植野、マトモぢゃないのは、お・ま・え・だよ。

それなのに視聴者は圧倒的にアンチ川井が主流で、それに比べたら植野を嫌う声が全然少ないという現実の状況にも納得がいかない。

川井なんてどうでもいい。

植野こそ自殺して詫びてほしい。

十代の安易な自殺志願はバカげてる

作中で主人公石田と聴覚障害の硝子の二人が別々に自殺未遂をするわけですが、このように安易に自己否定から自殺へと向かう気持ちの揺れが実に間違いであり、傷を残すだけで誰も救われない、最悪の結末にしかならないという事を十代の視聴者が作品を通して理解できれば良いのですが、突発的に軽く自殺してしまおうとする危うさこそが十代の不安定さの象徴でもあり、自殺という選択は圧倒的不正解であると強調して解らせる事が出来なければ、作中で安易に自殺描写をするべきではないと思う。

少なくともこの「聲の形」では二人とも自殺を志願するに至る理由付けがイマイチ弱いし、インパクト演出のためにだけ扱われてるかのようで、評価を落とす要素となりえる。

せっかくテーマも題材も良いのだし、自殺を絡めなくとも感動は構築できたはずだ

あれだけ家族に守られて恋心さえ芽生えた石田から誠意を尽くされた後に、硝子が自殺を謀る意味が理解不能だし、ギリギリの所で助けられるのも創作物っぽいし、なんの後遺症もなく石田が回復して大団円というのもハッピーエンドに向けての強引さが否めない。

まぁもしどちらかが死んでしまったり、植物人間となってしまったりしたら、ただの後味の悪い救いのないドラマになってしまうので、そんな結末はエンターテイメントとしてありえないわけだが、だったらそもそもシーンとして自殺を盛り込むなよと言いたい。

もっと別の手法でクライマックスを演出することもできたんじゃないか?

でも主人公の心が解ける度に人の顔のバツ印が剥がれていく演出はとても良かったです。

最後に作画監督の西屋太志さん、色彩設計の石田奈央美さんらの昨年犠牲となった京アニスタッフ全ての方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

この作品の評価はおおかた作画と色彩によるところが大きいです。

あの放火野郎、絶対に許さない。