産まれたのが氷河期世代で、デビューの時期もアイドル冬の時代(氷河期)という、まさにとことんついてない氷河期アイドル達にスポットを当ててみたいと思います。
氷河期世代の平成初頭アイドルの代表格はなんといっても国民的アイドルグループSMAPであるが、そのSMAPの売れない時期にあたる初期の初期と同期にしてそのまま消えていった彼女達のレクイエムが聴こえてくる‥。
売れなかった不遇の平成初頭アイドル達
高橋由美子
73年生、90年デビュー。
歌は売れなかったが女優業でそこそこ成果を上げる。
王道アイドルのルックスで、時代が5年早ければ違った評価を得られたかもしれないので、もったいないというか運が悪い。
平成初頭の不遇アイドルの代表格として最も思い浮かばれる存在か。
堀越時代に稲垣吾郎(SMAP)と交際し、成人してドラマ共演した頃がピークか。
なんだかんだで引退せずに芸能活動できてるので、負け組の中の勝ち組。
中山忍
73年生、88年デビュー。
トップアイドル中山美穂の妹として注目を集めるが、姉とは真逆の性格で、元から本人がアイドル歌手よりも女優志望だったこともあり、森雪之丞や後藤次利などの人気作家から曲を提供される破格の待遇も早々に見切りをつけて、完全女優業にシフトして現在まで細く長く女優業を続けている。
2000年以降もずっと仕事が途切れていないわりに全く目立っていない事から、超絶真面目な職人肌の女優であることが窺える。
しかしアイドル時代の内気でやる気のなさそうな彼女しか、今でもイメージができない。
宍戸留美
73年生、90年デビュー。
「ドレミファソラシド宍戸留美」というキャッチフレーズや、個性的な電波ソングを歌った事で他と一線を画す事に成功するが、世間的には浸透しないままイマイチパッとせず。
事務所が敷いたバラドル売りを拒否して退所したことで芸能生命も絶たれたかと思われたが、95年「ご近所物語」と99年「おジャ魔女ドレミ」で声優としての評価を獲得し、2000年以降も現在まで地道に声優業を継続している。
作品名義のキャラソンでは歌うが、アイドル声優としての活動は行わなかった為、いつまでたってもイメージは「地球の危機」の頃で止まっている。
細川直美
74年生、89年デビュー。
後藤久美子を輩出した美少女コンテストの第二回優勝者。
アイドルとしての活動期間はデビューからの一年間のみで、その後は女優として活動した。
ゴクミや藤谷美紀と比較するとその谷間に埋もれて地味な印象であるが、こればかりは氷河期の呪いというか定めなのか。
02年に俳優の葛山信吾と結婚して以降は表舞台から消えるが、人生設計的にはタイミング的にも勝ち組か。
田村英里子
73年生、89年デビュー。
ドイツからの帰国子女として、最初の3枚は筒美京平作曲の歌でトップテン入りを果たし、89年の歌謡賞を総なめにする程の華々しいスタートを切る。
翌年にはタイアップアニメ「アイドル伝説エリ子」でヒロインが同名という破格の売り出し方でゴリ押しされるも、時代が悪かったのか人気がついて行かず、90年代はNHKを中心に女優業にシフト。
2000年以降はアメリカに単身留学し、海外ドラマに出演する。
マイクタイソンに一目惚れされるという逸話を持つ。
アイドル的な資質がそんなにない印象で、本人の野心もそれほど感じられず、なんとなくミステリアス。
坂上香織
74年生、88年デビュー。
アイドル歌手活動は十代のうちの実質二年間で、その後は女優としてのキャリアを08年頃まで積む。
ポスト薬師丸ひろ子のような逸材にも見えたが、氷河期ゆえの不運さか、Vシネ落ちしながらの地道な活動も地道なままで、イマイチ報われなかった印象。
田中陽子
73年生、90年デビュー。
ホリプロの期待の新人として、アニメ「アイドル天使ようこそようこ」のタイアップ付きで歌手デビューするも、わずか1年半で引退する。
性格は男っぽいイメージで、40過ぎてからプロレスラーと結婚した。
彼女の失敗を踏まえてホリプロは後に深田恭子を大事に育成した。
西野妙子
75年生、90年歌手デビュー。
正統派アイドルのルックスで、なかなか売れそうで売れなかったのも時代のせいか。
後に「ASAYAN」で小室哲哉プロデュースによる3人組ダンスユニットdosでセンターのリードボーカルを務め再起をかけるも、サイドのKABAちゃんとasami(元小室妻)に全部持ってかれるという不運ぶり。
2006年まで単発ドラマの女優業で生き残ったが、2007年以降は消息不明で実質引退。
本人はやる気もあってポテンシャルも高かったが、器用貧乏で何もかも平均点だったのが突出できなかった原因か。
早坂好恵
75年生、90年デビュー。
沖縄出身の濃い顔立ちで、アクターズスクール卒業生。
「バクダン小娘」のキャッチフレーズで元気いっぱいにバラドル売りでそこそこ成功するも、歌は全く売れずにアルバムは2枚出して見限られる結果に。「らんま1/2」のOPに起用されたデビュー曲は良かったんだけどね‥。
大のプロレスファンでレスラーと結婚する。
タレントとしての需要とポテンシャルはあった。
河田純子
74年生、89年デビュー。
中山忍や宍戸留美らとユニットを組みながら正統派アイドルとして期待されたが、思うような結果を得られず活動はフェードアウト。
ハタチで芸能界を引退後に、その後はOLとして10年勤務したらしい。
里中茶美
75年生、89年デビュー。
沖縄アクター出身で、松本隆と秋元康をバックに売り出すものの全く売れず、翌年には活動に見切りをつけて早々に引退した実質平成元年だけの幻のアイドル。
当時一枚だけ写真を見た記憶ではかなり可愛かった印象。
実弟がDA PUMPのISSAである。
こんぺいとう
75-76年生、91年デビュー。
デビュー曲「ポップコーンハートブレイク」のPVが深夜から明け方に一時流れていまして、その弾けるアイドルポップスと80年代のようなビジュアルがとても気になってはいたんですけど、全く鳴かず飛ばずで活動期間1年半で終了解散する。
二人ともモモコクラブ出身で、片方が佐野量子に似ていたが、どちらも解散後にヌードになるという末路。全然セクシー路線ではなかったのに。
中江有里
73年生、91年歌手デビュー。
歌は全く売れなかったが女優、作家、キャスターとしてマルチな才能を発揮したことで芸能人として細く長く活動することには成功した。
作詞家松井五郎との縁で近年また歌手活動を再開し、誰も望んでいないのに配信で発表している。
負け組氷河期アイドルの中では最も上手なポジショニングで、汚れ仕事をしないまま今に至る。もはや一番の勝ち組か。
水野あおい
75年生、92年デビュー、00年引退。
元祖地下系アイドルの走りで、アイドルマニアの間では伝説となっているが、一般的な知名度は皆無。
声優アーティストの桃井はるこや田村ゆかりが好きを公言している。
個人的には全く知らなかったが、モモーイとゆかりんのファンだったので、ずっと気になる存在ではあった。
芳賀ゆい
74年生、90年デビュー、留学即引退。という設定。
伊集院光のオールナイトニッポン末期のプロジェクトで、架空の理想的なアイドルを具現化させていくという斬新な企画で、喋り担当と歌担当と写真担当がそれぞれ別人で、数十人用意されていたという。
顔出しはせず、「小柄でポニーテール」というだけの写真集も発売。
シングル「星空のパスポート」は極上の出来に仕上がった。
この声最高だわ。
CoCo
73年生、89年乙女塾から選抜デビュー。
宮前真樹
ショートカットが特徴で、初期の乙女塾を牽引していた。
羽田恵梨香
後にグループ内でいじめられていたと告白する(笑)。
三浦理恵子
独特の猫なで声で一番人気。女優としてもそこそこ成功する。
悪女役での需要が高かった。
瀬能あづさ
ムチムチ担当。途中でグループを脱退し、プロ野球選手の石井琢朗(横浜)と結婚を機に引退。(4年で離婚)
大野幹代
グループの中で一人だけ74年生まれの末っ子。
真面目で面白味のない普通の女の子すぎて、目標とかあるのかと小一時間問い詰めたかった。
ribbon
73年生、89年乙女塾から選抜デビュー。
松野有己&佐藤愛子
二人とも完全に永作の子分というか引き立て役で、表情も硬く最初からアイドルというか芸能界に全然向いていなかった。
永作博美
乙女塾内でも最年長の70年生まれ。
実質氷河期世代ではなく、ひとつ上のおニャン子世代であるが、丸々した童顔で年齢をカバー。
やはり大人だったため、サイドの二人よりも明らかにしっかりしており、リーダーとしてグループを牽引した。
その後女優として大成功を収めようとは‥。
中嶋美智代
71年生、91年歌手デビュー。
乙女塾3期生で、ブスだらけの乙女塾の中で一人だけアイドルらしい可愛さと控えめな輝きを秘めていた為、ribbonに加入せずにソロ売りとなった。
その後の活動もマルチにそこそこ順調で、プロ野球選手のサブロー(千葉ロッテ)と結婚した勝ち組。
東京パフォーマンスドール
穴井裕子
74年生、91年デビュー。
グループの中では一番喋れるタイプであったが人気がなかった。AKBでいうところのたかみなタイプ。
米光美保
73年生、90年デビュー。
一番アイドル的でグループ内の人気は高かったが、能力的に弱かったか?
市井由理
72年生、91年デビュー。
ヒット曲「DA.YO.NE」でMCラッパーになるなんて驚いた。
篠原涼子
73年生、91年デビュー。
この世代全体の一番の勝ち組か。
ミリオンヒット後に女優としても大活躍。もはやコメント不要だろう。
島崎和歌子
73年生、89年デビュー。
最後にオチとしてノミネートするわけではないが、彼女もれっきとした氷河期不遇アイドルの代表格というか、その中心に位置していた人物だ。
歌も売れず女優業もそこそここなしたが、感謝祭の司会に抜擢されていなければ他のアイドル達同様に徐々に消えていたに違いない。18歳にしてあのTBSの大抜擢は非常に大きい。
すっかり酒豪の芸人の姐さん的ポジションに納まって久しいが、元から持っていた愛嬌(ベビーフェイス)と、物怖じしない度胸で芸能界の荒波を渡り抜いた印象で、性格も良さそう。
まとめ
他にも増田未亜、相川恵理、山中すみか、新島弥生、木内美歩など、20選に入りきれずにここでも落選してしまった氷河期世代の残念なアイドル達がわんさかおります。
彼女達は時代に恵まれなかっただけで、もしモー娘。やAKBにいたら結構な人気メンバーになっていたに違いないのです。
今更ですが屍となった彼女達の埋もれてしまったレクイエムに、改めて耳を澄まして供養してみてはいかがでしょうか。