ジブリといえば宮崎駿であり、高畑勲だ。
同じく日本アニメーションの立役者といえば、こちらも高畑勲であり、宮崎駿だ。
だが、その二人がツートップであるならば、サッカーでいうところのトップ下に位置する者は誰であったか。
そう、それが稀代のアニメ絵師・近藤喜文氏(故人)なのである。
高畑勲と宮崎駿は近藤の才能を認め嫉妬した
まずはこちらを読んでほしい。
天才二人が天才を取り合った一部始終顛末を、仕掛け人であり仲裁人でもある鈴木Pが語った貴重な史実だ。
火垂るの墓
野坂昭如の原作を高畑勲が満点の完成度でアニメ化した言わずと知れた名作。
その陰に近藤喜文の作画が大きく貢献していたのは明らかで、もしこの作品が劇画タッチの暗い描線だったら絶対に今日までの評価は得られていないと断言できうる。
近藤氏による目に優しく大衆受けするデザインあっての世界観であり、こんなにもやるせなく悲しい物語なのに何度も鑑賞に堪えうるのは、近藤氏の画によるところがウェイトとして非常に大きい。
高畑が「近ちゃんが描かなきゃ作らない」と言ったのも納得である。
魔女の宅急便
「トトロ」で協力できなかったお詫びとして、翌年に宮崎悲願の近藤作監キャラデザによる「魔女の宅急便」が完成、大ヒットする。
しかしシロート目には宮崎駿の絵としか映らず、近藤のデザインワークに着目される事はなかった。
もののけ姫
晩年最後の大仕事、作監キャラデザを務める。
「魔女宅」以降エンタメヒット制作から遠ざかっていた宮崎駿にとって、90年代に残さなければならなかった大作であり、緩やかに下降線を辿っていたジブリの未来を近藤の手腕に託すという密かな気概も感じられた。
しかし近藤喜文は「もののけ姫」が巷で大ヒット御礼中に、ひっそりと病室で画用紙片手に息を引き取る。享年47歳という若さだった。
近藤喜文を殺したのは高畑か、宮崎か
おもひでぽろぽろ
近藤が自らつぶやいた「高畑さんは僕を殺そうとした‥」の決定打が多分これ。
リアリティの名のもとにものすごい手間を要求する静かなる鬼軍曹・高畑勲の要求は止むことを知らず、生まれつき身体の弱い近藤を幾度となく追い込み苦しめた。
もちろん高畑の要求が繰り返される理由は近藤の才能と技術を見込んでいたからであるが、近藤は高畑との大仕事のタッグはこれを最後にし、「ぽんぽこ」での役職は原画にとどまった。
耳をすませば
元は宮崎が近藤に合ってると持ち込んだ企画であり、ずっと作画マンであった近藤が務めた最初で最後の唯一の監督作品。
演出面で幾度となく宮崎駿からの容赦ない鬼のダメ出しを喰らわされ、怒鳴られ何度も衝突し、肺気胸を患い入退院を繰り返しながらも彼が命を削って完成させたのが「耳すま」だ。
宮崎駿は後に近藤の死について「自分が終わりを渡してしまったようなもの」と回述した。
ジブリの正統後継者・近藤喜文が存命ならどう変わっていたか
「ホーホケキョとなりの山田くん」や「猫の恩返し」や「かぐや姫の物語」があんな作画にはならず、ちゃんとした近藤喜文の絵で表現されていた可能性が高いし、「ハウルの動く城」や「崖の上のポニョ」はもっと質の高い作品に昇華されていたはずでしょう。
もっと言えば高畑勲監督作品は制作される事はなくなり、近藤喜文監督による二作目三作目が発表されていたに違いない。
そうなると当然宮崎吾郎や米林宏昌が台頭する枠はなくなり、完全に宮崎駿の後継者としてジブリの看板を背負っていたのは近藤喜文であったと断言できるのだ。
そしてそうであれば現在のようにジブリ作品が没落する事はまだなく、宮崎駿も大正ロマン映画なんて駄作を晩年に発表する必要もなかった。
すべては彼が死んでしまったせいなのである。
ジブリがダメになってしまたのも。宮崎・高畑が晩年を汚したのも。
近藤喜文の作画キャラデザワークの愛らしい魅力
名探偵ホームズ
宮崎駿が監督を務めたテレビシリーズ。
犬のキャラを擬人化させたポップで可愛らしいデザインが印象的で、子供心に絶大なインパクトを与えられた。
後に近藤氏の手掛けたキャラデザと知り、リスペクトのきっかけとなった。
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愛の若草物語
キャラクターデザイン担当。
名劇作品中最もジプリっぽい絵柄なのがコレなのも納得。
放映開始後すぐに日アニを退社してジブリに加入したため、近藤は作画監督としては参加できなかった。
そのため二回に一回は安定しない作画(キャラの顔が可愛くない)で、作監の重要性を痛感させられる作品となってしまった。
(山崎登志樹作監回は顔が整っているが古山匠作監回は顔が崩れてる)
赤毛のアン
20代の若さでこのビッグタイトルの作監とキャラデザを任される。
高畑勲監督とのタッグが「火垂るの墓」の9年前に既に実現。
これまでの日アニ名劇の作画クオリティからは飛躍的に向上した。
この頃から日常の所作という観点からのリアリズムと人物の動きを、徹底的にその高畑イズムを近藤は叩き込まれる。
近藤喜文のセンスと手腕
ふとふり返ると
私が近藤喜文に着目したきっかけは十代当時「アニメージュ」を定期購読していて、その中で連載されていた近藤のイラストエッセイ「ふとふり返ると」を雑誌の冒頭のキャラクター人気投票の次に好んで拝読していたからだ。
暖かみのある絵と文で構成された短いエッセイには彼の人柄が詰め込まれており、自己主張が強くないので彼のプライベートな内面を知るまでには至らないものの、それがより彼の温和で優しい性格を語ることなく「画」で表現されていたように感じるのだ。
- 作者:喜文, 近藤
- 発売日: 1998/03/01
- メディア: 大型本
金曜ロードショーのオープニング映写機ムービー
数年前まで20年近く使われていた金ローのオープニングムービーは彼の手掛けた生前最後の演出仕事である。(しかしこれも一般的には監督の宮崎の手柄)
まさしくセンスの塊ではないか。
個人的には最も早世が惜しい芸術家ランキング第一位が近藤喜文氏なのである。
高畑・宮崎両巨匠もさることながら、志半ばの彼の死を最も残念に悔やんだのは近藤喜文氏本人に他ならないと思うのです。
もっと見たかったよ。
- 作者:近藤善文
- 発売日: 1982/07/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
追伸:近藤喜文と双璧の絵師は佐藤好春だけ
となりのトトロ
結果的に近藤喜文による推薦でトトロの作画は佐藤好春になるのだが、個人的にはこれで大正解だったと思う。
佐藤好春氏の絵は近藤喜文に近い後継者であるが、近藤以上に可愛らしいデザインを描ける人なので、トトロの世界観には元からピッタリだった。
もしトトロの作画デザイン担当が近藤だったら、あれ以上のトトロになったかというと決してそうではない。
つまり佐藤好春は近藤の代わりを120%の仕事で務め上げたわけであり、彼もまたもっと評価されても良い人材に思う。
ただ元々宮崎駿によるデザインが完成されていたとも言えるので、近藤が火垂る陣営に廻されたのは必然の理であり、翌年の「魔女宅」で宮崎X近藤タッグの完成形を見てもそれは明白で、宮崎の絵を近藤がなぞってるだけであれば、それはただの近藤の無駄遣いなのである。
世界名作劇場の中後期の立役者
名劇といえば70年代の作品を思い浮かべる者が大半であるが、名劇の作画のピークに限って言えば80年代中期であり、つまりそれは83年の「アンネット」~87年の「若草物語」までを占めるわけで、その中で20代の若さで作画監督とキャラクターデザインを三作務め上げた佐藤好春氏こそ、凄腕原画マンの天才アニメーターであると満場一致で認めて異論があるはずないのである。
名劇後期の「ナン&ジョー」「ティコ」「ロミオの青い空」においても彼の絵力が如何なく発揮されている。