80年代回顧録

1981年の7才から見た野球とアニメと歌謡曲

小学校に入学した僕が早くも人生はツライと感じ始めた時期でもあります。

とにかくランドセルが重かった。

毎晩寝る前は憂鬱な気分で神様にお祈りしてた。

「明日何も嫌な事が起きませんように!」って。

1981年(昭和56年)の世相

この年はダイアナフィーバー一色だったように思われます。

子供からしてみたらなんのことやらさっぱりわかりませんでした。

社会背景的には前年と翌年が派手だった為か狭間の年といった印象があります。

巨人戦中継とプロ野球ニュース

プロ野球では宇野(中日)のヘディング珍プレーもこの年でした。

みのもんたの珍プレー解説(アドリブ?)最高だったなー。

野球も巨人戦のテレビ中継が熱い時代でした。

でもこの頃はまだ時間の延長はなくて九時前の試合の途中で放送が終わってしまうんですが、大概原がポップフライ打ち上げて悔しそうな顔してる印象が強かったですw

あとクローザーの鹿取と角のアンダースローで、特に角のカクカクしたフォームとサウスポー故の内角をえぐるような球筋に興奮しました。

佐々木信也のプロ野球ニュースとかわくわくして見てました。

よく考えたら夜更かししすぎですね・・。

でも22時には寝かしつけられてた記憶があるので、多分土日だけ夜更かしを許されてたような気がします。

子供の頃は大晦日とかすごくときめいてました。夜更かしがすごく好きな子供でしたね。

これは後々深刻に良くない傾向となるのですけどね・・。

マチコ先生=〇、うる星やつら=×、アラレちゃん=◎

アニメはDr.スランプアラレちゃんが始まり、秋にはうる星やつら、じゃりン子チエ、まいっちんぐマチコ先生が開始。

マチコ先生は子供には赤面ものでしたが、大人から見たら軽いエロコメだったんでしょうね。

何故かうちではうる星がダメで、マチコ先生は見れてました。

うる星を見せてもらえなかったのは母親が裏の連想ゲームを見てたからだったんですね、思い出すとむかつきます。

アラレちゃんはすぐ大ヒットした印象で、視聴率も高かったです。

ピコピコしたOPとちょっとセンチメンタルなED共に水森亜土の歌がすごくハマってました。

じゃりン子チエは無駄にクオリティ高かったですね。

1981年個人的邦楽ベスト10

1.ハイスクールララバイ     イモ欽トリオ
2.守ってあげたい        松任谷由実
3.春咲小紅           矢野顕子
4.チェリーブラッサム      松田聖子
5.ヨコハマチーク        近藤真彦
6.もしもピアノが弾けたなら   西田敏行
7.長い夜            松山千春
8.メモリーグラス        堀江淳
9.E気持ち           沖田浩之
10.ルビーの指輪         寺尾聡

この年のザ・ベストテンは幼いながら姉と一緒によく観てました。

ルビーがとにかく大ヒットでしたね。

この年はマッチの年といっていいんじゃないでしょうか。

スニーカーぶる~すで前年12月にソロデビューで大ヒットして年末にはギンギラギンにさりげなくでレコ大受賞でしょ。

中でも地味だったセカンドシングルのヨコハマチークをあえて個人的に推したいと思います。

当時この曲をやたら口ずさんでました(といっても恥ずかしいので家族に聞こえない声で)。

姉貴のラジカセから鳴ってたからだと思うのですが、ユーミンと矢野顕子がやたらかかってました。

もうほんとフルコーラス覚えちゃうくらいリピートの嵐で耳にこびりついちゃいましたね。。

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MVPは、なめ猫(なめんなよ)

この時代は犬の方が愛されてましたが、今でも古さを感じさせない可愛さです(当たり前か)。

今だと動物虐待を指摘される案件かもしれませんねw

なにせ横浜銀蠅の時代でしたからね…。